主の日の祈り

主の日の礼拝にて

11/8礼拝にて

イエス・キリストの父なる御神
幸いな招きを感謝致します。あなたの守りの中を歩んでまいりました。様々なことに出会いつつも、このようにしてあなたへの呼び声が守られて、招きを受けとめて御前にとどまる信仰が与えられていることを感謝致します。改めて、信仰が自分の意志や熱意によるものではなく、あなたの確かで暖かな御心によるものだと知ります。どうぞ、再び信仰を強めてくださいますように。
そうしていただかなくてはならない私どもです。目に見えていた現実や耳に聞こえていた言葉に出会い続けてきました。あなたがご存じのように目で見、耳で聞いたものは必ずしも明るいものではありませんでした。「主よ、どうしてなのですか」という問いを重ねつつ歩まねばならないものでもありました。そのような問いを重ねているだけならば、私どもの信仰は弱り果ててしまうものでもあるのです。どうしてもあなたの言葉が必要です。どうしてもあなたが生きていてくださるということを、私どもの心の深いところで受けとめる必要があるのです。
自分の言葉で自分自身が一杯になってしまい、あなたから頂く言葉を遠くにきいたり、あるいは後回しにしたりしてしまうことがあるのかもしれません。自分の苦しみや悲しみを語る言葉で一杯になってしまって、他の誰かの苦しみや痛みに十分耳を傾けることができずにいたのかもしれません。考えてみれば、自分のうちに響いている声を聞き続けても、おそらくそこに光が見えてくるようなものではありません。
だからこそ、あなたの言葉に耳を傾け直すことができますように。あなたの言葉こそ大きく響かせることができますように。あなたの言葉が私どもの知らない喜びを告げるものとなるようにと、今、言葉の霊、御霊をここに注いでください。どうぞ、私どもの本音をあなたへの信仰で染めてくださいますように。
国同士の争い、いったい世界はどうなってしまうのかという恐れが、広く存在しています。そうした恐れの中で自分たちを守る思いを強め、だからこそ緊張が高まっています。お互いに理解しようとする努力こそ、どうぞ祝福されますように。とくに教会とキリスト者たちを平和の使いへと召してください。どの国の教会も平和を祈り続けていることができますように。どうか国の背中を戦争へと押すようなことがありませんように。
共に集えない信仰の仲間たちを覚えてください。悲しみ・嘆きの中にある者たち、あなたへの信仰にすら望みを失いそうになっている者たち、病にある者たち、様々な理由でここに共にいることが許されない者たちに、あなたの祝福を与えてください。