主の日の祈り

主の日の礼拝にて

11/15礼拝にて

あなたの御名を賛美するためにこうしてここにあります。様々に用いてきた言葉と声でありますが、それをもっともふさわしく用いるようにと、あなたを呼ぶ声として用いるようにと、あなたが導いてくださっています。それにこたえて、呼びます。天の父なる御神、天のお父さま、私どもの造り主。私どもはあなたからやって来ました。そして、あなたに生かされ、あなたに向かって生きています。どうぞこの時、そうしたほんとうの私どもの歩みを明らかにし、迷うことしばしばの私どもの足取りをしっかりとしたものにしてください。
 今こうして十字架の前で、隣人を愛せよと言われた御子の言葉を、思い返しています。その愛の戒めを新しく聞き直そうとしています。気付けば、ほんとうに狭く小さな愛に立ち尽くしてしまうような私どもです。愛の手を届かせることができなかった人々があります。どうぞ、あなたがそうした人々に憐れみを注いでください。また、狭く小さな愛に立ち尽くす私どももまたあわれんでください。身を伸ばすような愛に生きられますように。手を届かせることができずとも、祈りのうちにしっかりと保つことができますように。
 宗教的な対立、思想の対立、利害の対立、報復の連鎖がいまだやまぬ世界に生きています。テロの被害に揺らいだまま日曜日を迎えることになるパリを、フランスをあなたがあわれんでください。教会が、正しく御心に立つことができますように。混迷しているこうした情勢の中で、どうぞ、どの国の指導者も国民も冷静さを失うことがありませんように。平和を投げ出してしまいませんように。各国の教会を平和のキリストがお訪ねください。
 また、私どもの国も、こうした対立を際立たせるようなところに立つことがないように守ってください。とくに政治的に責任ある人々をあなたが導いてください。
  共に集うことができない人々を、どうぞ顧みてください。孤独や悲しみを深めている者たちに、あなたの憐れみを注いでください。今、ここでも忘れることなく、祈りのうちにそうした仲間たちを携えて礼拝をささげます。病んでいる者たち、弱さの中にある者たちを強めてください。今ここにありつつも、体の不調、心の重さ、うずくまるような思いでいる者たちに、あなたが届く光を与えてくださいますように。み言葉の恵みを待ち望みます。