主の日の祈り

主の日の礼拝にて

11/1礼拝にて

あなたに向かう心を、あなたが受けいれてくださって、こうして御前に集うことができます幸いを感謝致します。単に受けいれてくださったということだけでなく、あなたが私どもを待ちわびてくださっているということを、御子イエス・キリストはお知らせくださいました。自らの罪深さのゆえにそのことを何度も見失ってしまうような者でありますが、それゆえにみ言葉と御霊を備えて、そのあなたの変わることのない愛を、何度でも聴き取ることができるようにしてくださいます。重々しい足取りでやって来ても、あなたの恵みを聴き得た幸いに、何度足取りの軽やかさを取り戻したことでしょうか。気付けば、自分の罪深さのなかから連れ出されることの喜びと、そのようにして与えられる望みに深く生かされている私どもであります。感謝致します。
イエス・キリストを父のみもとに至る道、真理、いのちとして、確かな足取りでここに集い続けた信仰の仲間、S兄が地上での91年の生涯を終えられました。ご遺族、とくに伴侶として歩まれたE姉の淋しさにあなたが顧みを注いでください。また私どももできた空席をさびしい思いで受けとめています。礼拝者としての頼もしい背中を失いました。しかし、どうぞ、御子が場所を用意しに行くと言われた約束に、思いを向けさせてください。どうぞ、礼拝の民が数を減らしたのではなくて、このようにして天上の礼拝と地上の礼拝が強く結ばれるようになっていることに、私どもの目を覚まさせてくださいますように。
どうぞ、こうして礼拝を続けている私どもの背中が、神を拝むことの幸い、そのいのちの豊かさを、信仰の仲間たちに、家族のものに、そして世の中に向けて、示してまいりますように、この礼拝の民を祝福してください。
世界に平和を与えてください。人間自身が作り出す平和のか弱さを思わざるを得ません。自分の都合や利益から、なかなか自由になることができません。そのために平和の道のりを困難にしてしまいます。人のことを責めて終われません。私ども自身にもくい込んでいる生き方です。十字架を厭われなかった主イエスを仰ぐほかありません。どうぞ、ここであなたの言葉によって私どもの魂の深みを訪ね、また聖餐に与ることによって私どもの骨と髄とを訪ね、私どもの知らない生き方を授けてくださいますように。
集うことが許されない者たちにあなたの顧みを注いでください。病の床にある者たち、術後の療養に努めているもの、年を重ねて軽やかな体を失っている者たちをあなたの御心にとめてください。主の御名によって祈ります。