主の日の祈り

主の日の礼拝にて

6/14礼拝にて

こうしてまたあなたの御前に集うことができましたことを感謝致します。あなたが私どもを呼び集めてくださいました。歌うべき歌も、祈るべき祈りも、聴くべき言葉も、そして共に生きる者たちに語るべき言葉もあなたが備えてくださったものです。心から感謝致します。賛美の歌を忘れてひたすら自分の思いに生きてきたのかもしれません。そこで祈る祈りも、あなたの言葉に応える言葉とはならずにひたすら自分の思いをつぶやき続けていたのかもしれないと思います。しかし、改めてあなたの前で、そうしたどのような私どもの姿をも、あなたが御心に留めてくださっていること、そしてあなたを信じて歩む本来の私どもの姿へと取り戻そうとしてくださっていることを知ることができますように。私どものどこか暗い思いを裏切る明るい言葉、私どもでは考えることも語ることもできないあなたから来る望みの言葉がここに聞こえてきますように。そうした言葉を聞き取るためにも、いま、追いかけてくる思いや波立つ心を、あなたの憐れみによって静めてください。静かな細いみ声のために、思いわずらい悩みも含めた私どものあらゆる心を御前にさらして、あなたの御前に黙する心を備えさせてください。私ども自身を作る言葉、そして私どもが生きてゆく人間との喜ばしい関わりを作る言葉をあなたが与えてくださいますように。
今朝、重い体や心を携えて御前に出ている者たちを憐れんでください。あなたがキリストによって与えてくださった福音に身も心も軽くされますように。共に集い得ない仲間たちがおります。自分自身の病のゆえに痛みや不快と闘っている者たち、あるいは家族を看るために労力を注いでいる者たちにあなたが憐れみを注いでください。共にキリストのからだだと御子はお教えくださいました。ここで献げる祈るがそうした者たちをも御前に携えていることに深い信頼を置きながら、祈り続けていることができるように助けてください。また、そうした人々にあなたの祝福が届きますように。
この主の日、多くの国々で主への礼拝が献げられます。どうぞ、どの国でも主イエスがお教えくださった平和が思い起こされますように。キリスト者の歩みにいささかでもその御姿が現されてまいりますように。あるいはまた異なる信仰や思想にありましても、平和がたずねられているどの道もあなたが祝福してください。
私どもの国を覚えてください。戦後70年を迎えて、国の歩みが再び問われています。平和である道が様々に考えられていますが、どうぞ、その道が主イエス・キリストがお示しくださった道と、いささかでも重なりますように。政治に責任を持っている人々をあなたが守ってください。