主の日の祈り

主の日の礼拝にて

4/26礼拝にて

天の父なる御神
 主イエス・キリストによってお教えいただいた、あなたを呼ぶ呼び声を携えて、ここにおります。父と呼ぶことによって、私どもを捕らえるのは、冷たい運命やさだめなどというものではなくて、父の暖かなお取りはからいであることを知るようにと、御子イエス・キリストはお教えくださいました。また、主は十字架の最後の一息で「父よ、わが霊を御手にゆだねます」とその呼び声を上げてくださいました。その主の信仰に担われて歩んでまいりました。「天の父よ」と高らかに呼ぶことへと主イエスが私どもを誘ってくださいます。あなたを余りに遠く、余りに高く感じてしまい、自分を取り囲んでいるのが、思いわずらいや悩みばかりであるように感じられるときにも、主の御名によって祈ることが赦されているのです。まなざしを高くあげることが許されず、うずくまる歩みをしなくてはならないときにも、その私どもと同じ地平に立ってくださって、祈りを導いてくださる主イエスの祈りに担われています!
 深い感謝と共に、新しい信仰、あなたへの信頼をお献げすることができますように。もし、どうせ信じられない、どうせ新しくなれないというような固くなる心がありましたならば、あなたのみ言葉で砕いてください。あなたを信じる思いへと正しく取り戻してください。
 他の人々とのいろいろな関わりのなかで生きてきました。家族との関わり、友人との関わり、職場での人間関係、そのような関わりに思いを砕き、思いを注ぎ、関わりを作ろうとしています。そのような努力をどうぞあなたが祝福してください。他者に対しての望みを保っていることができますように。自分自身の愛の弱さばかりが見えてくることがあるのです。しかし、自分の愛の貧しさを痛感する相手ではあっても、その相手があなたの手の中にあると信じることまで失ってしまうことがありませんように。この人もアブラハムの子、この人も神の子という主イエスのお言葉を聞き続けていることができますように。
 世界に平和を与えてください。困窮している人々、国々を憐れんでください。
 今朝、共に集い得ない人々をあなたが覚えてください。病の中にある者たち、また病の家族を看るために心を砕いている者たちを覚えてください。
主の御名によって祈ります。