主の日の祈り

主の日の礼拝にて

2/1礼拝にて

語ってきた言葉があります。巡らせてきた思いがあります。行ってきた行動があります。思い返せば、どれも御前に持ち出すには本当に恥ずかしいものです。当然、そのことをご存じで、あなたは私どもを守り続け、ここに導いてくださいました。私どもが祈りを忘れているときも、あなたを呼ぶことへと導いてくださるあなたの導きは消えていませんでした。私どものあなたへの真実を問われれば恥じ入るしかありませんが、上回る恵みとご真実をもって私どもを導き続けてくださっていましたことを感謝致します。
 み言葉で私どもの信仰を呼び覚ましてください。そうすれば、小さくともしかし私どもの真実を・信仰をあなたにお献げすることができるようになります。私どもが本当はあなたのもの、あなたの子どもであることの喜びを、再び見出すことができるようになります。あなたのもの、あなたの子どもであることこそ、私どもの本当の姿なのですから。
 Gさんについての悲しい知らせを聞きつつ、この主の日の朝を迎えています。悲しみ怒る私どもの心をあなたが知ってください。どうか、人間のとんでもない蛮行をあなたが正しくさばいてください。けれども、どうぞこの国が怒りや復讐に足をすくわれることがありませんように守ってください。とくに政治的に責任を負っている人々をあなたが守ってください。また、私どものうちに、祈りが答えられないのではないかとうなだれる心があれば、どうぞ、あなたが支えてください。
 寒さ厳しい二月を迎えています。どうぞ、一人びとりの健康をあなたが支えてください。痛みや不快を取り除いてください。ここを慕いつつも集えない人々をあなたが顧みてください。受験の取り組みのなかにある若人々、試練と言うべき経験を、あなたが祝福してください。
 御言葉の光を待ち望みます。主の御名によって。