主の日の祈り

主の日の礼拝にて

12/18礼拝にて

天の父なる御神
御前にこうして集められ、気にかかっていた人々の顔を見いだし、共に集う喜びをより豊かなものとしてくださる幸いを、心から感謝いたします。
どうぞ祝われているクリスマスの祝いを、同じ信仰を持った人々の祝いも、そうでない人々の祝いも祝福してください。うつろな楽しみの祝いがあります。商業主義の祝いもあります。年中行事の祝いもあります。ただ雰囲気を楽しんでいるだけという祝いもあります。けれども、そうした祝いが深くに虚しさを抱え込んだままであるとするならば、どうぞ、その形ばかりの祝いが実りをえますように。あなたを知らないこの国が、まるでキリスト教国であるかのようなクリスマスの祝いではありますが、キリストが来られたことの意味、その威力を深く覚える日がやってまいりますように。どうか、教会が語る言葉が、明るい行事に取り残されるような気分でいる心に届く言葉となりますように、伝道者たちを祝福してください。どうか信ずる一人ひとりが、失われた心をあなたのもとへと携えゆくことができますように。
やがてキリストが来られます。死も苦しみもひっくり返して、あらゆる涙を拭いてくださる日が来ます。目にもの見せて望みを砕こうとする悪魔に対抗して、この望みを守る戦いを果敢に戦うことができますように御霊と、そして御霊の剣である御言葉を与えてください。
天の栄光が地の平和にまでなりますように。たゆまず祈ります、戦いをやめることができますように。その戦火に追われている人々を、どうぞ憐れんでください。広やかな心が勝利しますように。政治的に重い責任を負っている人々を、どうか憐れみ祝福してください。
病、痛み、苦しみ、不自由に悩んでいる人々を御心にとめてください。とくに、祈りを重ねているあの伝道者を覚えてください。癒しを与えてください。今日一日、その苦しみを負わねばならないのなら、その力を与えてください。病床で、献げられる祈りに、あなたがそば近く答えてください。ほんとうは、み側で祈っていたことに気づけますように。
御言葉を待ち望みます。御言葉を語らせる霊、み言葉を聴き取る柔らかな心をつくる霊を、今ここに与えてください。キリストを深くに宿らせることができますように。主の御名によって

12/11礼拝にて

一週間の守りを感謝致します。私どもが思いを悩ませ、あなたの確かな守りを忘れているときにも、あなたは私どものことを忘れずに、守り続けてくださって、ここに再び戻ってくることができたのだと思い返しています。どうか、あなたの確かな言葉のなかで、あなたの揺るぎない御手を私どもの恐れが退くほどに、知ることを許してください。ひとえに、あなたが私どもの歩みを担っていてくださるということ、それが私ども姿であるということを、ただしく知ることができますように。
何度まで兄弟を許すべきか、と主の御前に、隣人に対する怒りや失望を抱えて帰ってきた弟子の姿は、人ごとではないと思います。めぐらすべき愛をめぐらすことができずに、語るべき言葉を語ることができずに、取るべき態度を取ることができずに、生きてきたのではないかと思い返しています。愛に生きることの困難さは、どこまでもつきまといます。けれども、もう愛に生きられないのだと、あきらめることがないように守ってください。このように再び帰ってきたあなたは、尽きることのない慈しみのお方であります。私どもの愛のなさよりも、あなたの愛の大きさに捉えられることができますように。そのために、私どもの敗れている姿よりも、あなたから注がれている愛こそ私どものうちで大きくなりますように。主よ、生きている言葉を、私どもがどうしても聞かなくてはならない言葉を今朝与えてください。
クリスマスの祝いを、祝福してください。この国の人々が形ばかりであっても、クリスマス、キリストの祭りと銘打ちながら祝っているその祝いが、どれほど威力のある喜びかを知ることができますように。空虚な祝いが内実をえますように。
世界の教会を祝福してください。平和の歩みが進んだかと問えば、途端に心許なくなる世界です。しかし、平和の君の足音が昨年よりも近づいていることは確かです。必ずやってくる主の平和にこそ、思いを向けている教会であらしめてください。ヨーロッパの教会、アメリカの教会、ロシアの教会、韓国の教会、中国の教会、その他様々な国の教会を、このアドヴェント第3主日に祝福してください。
病んでいる人々、痛みや不快、不自由さに耐えている人々を強めてください。あの伝道者をどうか癒してください。その家族に守りを与えてください。主の御名によって祈ります。

12/4礼拝にて

あなたの真実な言葉を求めて集いました。今、心を静め、うちに去来する自らの言葉、もう何度も自分のうちで繰り返してきた言葉を静め、あなたから来る言葉、私どもが思いつくことも考えつくこともできないあなたの言葉を与えてください。そして、その言葉が恵みを宿す言葉であることを深く信じ、たとえそれがどんな言葉でありましても、虚心坦懐に受けとめることができますように。
聞き従うために従順であることが、素直であることができますように。あなたの言葉が光であり、その光の筋を受けとめるために、私どもの心もまた真っ直ぐにしたいと思います。不自由な思いを遠ざけてください。飾る必要も、装う必要もなく、すべてを知られているあなたの前なのですから、あなたがお示しくださる通りに、自分自身の姿を見ることができますように。あなたの恵みの光のうちにどれほど確かに招かれ、保たれているかという、私どもの本当の姿が見えてまいりますように。
あなたの愛が、自分には及びがたい遠く高いところにあるという幻想を砕いてください。すぐ側に、いえ、私どものうちにやって来ているキリストが、すでに愛を授けてくださっていることに改め気づくことができますように。できないことばかり数えるのではなくて、もう自分の貧しさにすらこだわらずに、ひたすら愛に生きることができるようにしてください。聖餐のパンとブドウ液にあずかりつつ、キリストに捕らえられていることがどれほど確かな私どもの現実かということを見ることができますように。
12月を迎えました。主のご降誕の祝いが高まっていきます。平和が地にあるようにと言う、あの天の軍勢の歌に教会の歌声が乗っ取られますように。御霊とみ使いの助けを与えてください。戦いの色合いが退きますように。キリスト教国で政治的に重い責任を担っている者たちをとくに憐れんでくださって、自らの思いが改まる意義深いクリスマスを過ごせますように。
私どもも隣人に心を新たに向かい合うことができますように。愛と平和に生きられますように。この国の伝道を、どうかこのクリスマスの祝いの中で進めてくださいますように。望みの光なく教会を訪ねる者が、キリストのうちにまことの光を見いだせますように。
病んでいる者たち、とくに祈りを注いでいるあの若い伝道者のうちに、あなたの癒しを与えてください。再び、働きに立つことができますように。今日ここに集えない一人ひとりを御心にとめてください。一人きりの小さな祈りであっても、御霊をお遣わしください。主の御名によって祈ります。

11/27礼拝にて

天の父なる御神、
イエス・キリストが私どもに与えられていることの幸いを、私どもの恐れが取り除かれるほどに知ることができるように、きょう導いてください! 神の民に、また弟子たちに、「恐れるな」と、何度も不信仰を叱咤しつつ、確かな平安へと導こうとされたあなたの御姿、またあなたの御声がここに明らかになってまいりますように。私どもの願いは、本当は多くはありません。私どもの願いは、主を見て喜ぶことです。この主イエスによって、慰められない悲しみも、取り除かれない恐れもないはずだと信じています。ただしかし、あなたの強く暖かな御手を、改めて一つひとつの悲しみや恐れにお示しいただく必要があります。そのために、御霊をあなたは約束してくださいました。私どもの本音にまで染み入るほどのあなたの慰めを、どうかお与えください。
愛に生きることができない自分を悲しみつつも、それが当たり前であるかのように捕らえはじめているとすれば――自分の貧しい愛のほうへあなたの愛を引き寄せようとしているとすれば――どうぞ、私どもが学ぶべき愛、私どもが満たされるべき愛を、十字架の前で知らせてください。キリストの愛にこそ、私どもが迫られ、引き寄せられますように。
世界の平和を与えてください。アドヴェントが始まりました。天には栄え、地には平和と、どうか世界の教会が声を一つに合わせることができますように。どうか、教会がクリスマスを年中行事に終わらせることがありませんように。御子が与えられたことに深く思いを巡らせ、平和の足取りを取り戻せますように。偏狭な思いから解き放たれますように。うち捨てられたと思い込む心を訪ねるような教会の働きとなりますように。
今朝、肉体の弱さ、病、痛みのゆえに、ここに集えない者たち、御心にとめてください。癒しを与えてください。教団をあげて祈っているあの伝道者を、どうか癒してください。再び、働きに帰ることができますように。
御言葉を待ち望みます。

11/13礼拝にて

天地の造り主、全能の父なる神を信ず、と今朝もまた、古くから変わりない幸いな呼び声――あなたの御名を信ずる幸いのもとに集まりました。そしてこうして御子イエスの十字架のもとで、十字架に表された人間の憎しみや破壊すら、あなたの造り主としての御名を傷つけることができないことを、示してくださいます。どうか、御霊を送り、揺るぎないあなたの御業に、再び目を開くことができるようにしてください。
あまりに早く、しかも荒々しい世界の変化に、たじろいで過ごした一週間でした。だれもが幸せを願いますが、願う幸せの裏側でうごめくものの空恐ろしさにたじろいでいるのです。しかし主よ、今こそ、天地の造り主、全能の父なる神を信じさせてください。そして、時代がいかにあろうとも、かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを裁き給うキリストの御手のもとにある信仰から退くことがないように守ってください。
避け所であるあなたの前にやってくるとき、私どもが、人の言葉に、見えてくる景色の明暗に、一喜一憂を繰り返してきたのではないかと、改めて自らを訝(いぶか)しんでいます。どんな言葉に出会いつつも、どんな景色に囲まれつつも、なお喜び続けていたいのです。この国がどのような変化を遂げようとも、ここに恐怖や不安を解かすあなたの希望の灯火が燃えていることを信じ続けたいと願っているのです。主よ、そうした願いは、間違ってはいないでしょう。それゆえに求めます。信仰と愛と希望を保つために、変わることのないあなたの言葉を、より深く・より確かに出会わせてください。時を置かずに、どうか今朝、御霊を注いでください。弱くなる信仰であるならば、どうか強めてください。
世界の教会を、この日覚えてください。アメリカの教会、自分の国の幸福ばかりを追い求めはじめている先進国に立てられている各国の教会、プロテスタントカトリック、正教のいずれの教会も、自分の言葉とは異なる他者であり給うあなたの言葉に目を覚ましますように。教会に与えられた御霊を今こそ息づかせてください。語り方は異なれども、本当に必要な言葉、愛と慎みの言葉をどうぞ語り・聞くことができますように。
病にある者たちを憐れんでください。教育ボランティアに癒しを与えてください。この日、健康が許されずに教会に集えない淋しさの中で主の日を過ごしているどの魂も、あなたの顧みの中に置かれますように。
すべての恐れ、悲しみ、孤独、打ち捨てられた思い、うずくまる心が、どうか慰めを得ますように。主の御名によって

11/6礼拝にて

こうしてみ前に招かれることが、どれほど幸いなことでしょうか。追いかけてくる自らの罪深さがありつつも、それよりももっと強く、確かに追いかけてくるあなたの恵みの御手が、どれほど私どもを強く捉えていてくださるか、改めて御前で思い起こしております。あなたを信ずることを弱めること多く、思いわずらいに捕らえられること多く、それゆえに他者に思いを向けること少なく、つい先ほどまで考えていたこと、あるいは今ここに御前にすら持ち込んでいる、どうしようもない心があります。しかし、気づけばあきらめることなく、あなたを呼んでいます。信仰が守られていたことを知り、感謝を献げさせてください。もはや私どもの信心の力ではありません。信ずることさえも、あなたの真実に担われているのです。深い感謝と喜びに満ちた恐れを、今ここで回復させてください。
神が働いておられないかのような世界を見せつけられてまいりました。ニュースで聞かれることにも、疲れを覚えています。世界がいったいどうなるのかと不安に思う心が、満ちています。
主よ、ご自身の民をこの日に――世界にあるご自身の教会を――この日に訪ね歩いてください。宗教や肌の色や自分自身の利益や正義に閉じこもる心があります。聖霊を教会に注いでください。あなたを心深くに頂き、自らの罪深さを悔いる以外に、向かい合う人々の悲しみや苦しみに目が開かれる以外に、人間の心は変わりません。ひと事ではありません。自分自身もまた、どれほど人に心を閉ざしてきたかと、改めて思います。どうぞ、他者を思いやる心を備えさせてください。愛に生きられますように、平和に生きられますように。
政治的な責任を負っている人々を、どうぞ憐れんでください。思慮深く、冷静であることができますように。悲しみを大きくするような過ちを犯すことがありませんように。
病床にある信仰の仲間たちをどうぞ御心にとめてください。癒してください。とくに教団を挙げて祈っているあの教育ボランティアを、どうぞ癒してください。家族も守ってください。
また、今朝ここでうずくまるような思いを抱えて御前にある者たちも、御言葉に希望を、光を、見いだせますように。神の国がここにやって来ますように。
主の御名によって祈ります。

10/30礼拝にて

あなたに向かう喜びの足取りを備えてくださって、こうしてまた御前に集うことが許されました。私どもを助けてくださるあなたの御姿を肉眼で見てきたわけではありませんし、思い通りの一週間であったわけでもありません。しかし、このように、一つの心で主を呼ぶ願いを抱きつつ、あなたを父よと呼ぶことができるのは、あなたが私どもの信仰を守ってくださったという以外にはありません。そのことを喜びつつ、熱い心、信仰に生気を取り戻しつつ、この主の日の朝を過ごさせてください。あるいは、習慣となってしまい、恵みに心を振るわせて感謝することもなく過ごしてしまう心があるならば、今、恵みの大きさや深さをただしく知ることができますように。あの神の独り子主イエス・キリストとが、私どもを友と呼んでくださっている途方もない恵みに、再び目が開かれますように。  愛に生きるように、主イエスは新しい戒めを与えてくださいました。友のために命を捨てる生き方を主イエスは身をもってお示しくださいました。考えれば考えるほど、重い使命です。果たしてそう生きているかと問われれば、あなたに憐れみを求め、ひたすらな祈りのうちに愛を育てていただく以外にはありません。自分の愛の貧しさを是認する心を背中に回して、ひたすら御子に示された愛に向き変わり続けていることができますように。光にふり返る悔い改めを生きることができますように。もし、私どもが主の愛の戒めを「それはそれとして」、貧しい自分自身の光を光としているならば、どうか、自分自身に光のないことに気づくことができますように。潔く主にふり向くことができますように。 大きな怪我をしたIさんをあなたが顧みてくださって、癒してくださっていますことを感謝致します。祈っている宣教師をどうぞ守り、癒してください。再び働きに戻ることができますように。ほかにも病床で過ごしている愛する信仰の仲間たちがあります。どうぞ、この主の日、献げられる祈りにこたえ、あなたの慰め豊かな顧みの内に置かれますように。 政治的な責任を負っている人々を憐れんでください。難しい世界です。私ども人間自身が世界を難しくしてしまっています。その上、どの人間の知恵もこうした難局には不十分に思えます。世界が戦争という誤りに迷い込むことがないように守ってください。すでにある紛争やそれゆえに住むところを失っている人々を憐れんでください。 主の御名によって祈ります。