主の日の祈り

主の日の礼拝にて

10/2礼拝にて

上半期を過ごし、こうして10月を迎えるまで、私どもの歩みを導いてくださったことを感謝致します。万物を導いておられる神を共に見上げるようにしながら、歩みを進めてまいりました。私どもの個々人の、限られた経験でも、よくわからなかったあなたの御心が、あとになってよくわかるようになることを重ねます。どうぞ、摂理の神の恵みを数えつつ、あなたにゆだねる信頼へと育ててくださいますように。摂理を頭では理解しつつも、思いがけない事々の渦中にいると、あなたの尊い導きに思い至らず、ただただたじろぐこと、うなだれて過ごしてしまうことがあるのです。しかしまた思い起こします。かつてあなたを忘れ去るようにうなだれて過ごしていたときにも、あなたは私どもを慰め深く訪ねてくださいました。悩み果てるときにもそのことを私どもの魂に留めているからこそ、あなたの御前を離れずに、今朝もこうしてここにあるのです。恥ずかしいほど小さな信仰です。けれども御子は辛子種ほどの信仰でも献げよとおっしゃいました。どうか、まずしいけれどもあなたを見上げている心をあなたへの信仰としてお受け取りください。
世界聖餐日を迎えています。カトリック、正教、プロテスタントの教会が世界で一つに聖餐を祝おうとしているこのひと日を祝福してください。しかしまた、世界と日本の教会が、万物を導くあなたをどれほど示し得たかと申し訳なく思います。大きく、広やかにあなたを信じることを投げ出してしまって、世界の恐れや騒乱に巻き込まれてしまっている私どもではなかったかと思います。あるいは、そう自らをいぶかることすら忘れてしまっているのかもしれません。
私どもの教会を導いてください。こうしているときにも、今朝も教会の前を、カメラを向けながら、あるいは掲示板に目を注ぎながら多くの人が行き交っています。ほんとうのところ、あなたを求めている人々です。どうか、伝道を祝福してください。教会堂に目を注ぎすぎて行く人々も、どうか、共に聖餐を祝うところまで導かれ、あなたの御許に憩いを見出すことができますように。気になっているあの人、この人を携えて、御前に出ることが許されますように。どうか、この教会の伝道を祝福してください。
政治的に大きな責任を負っている人々をあなたが憐れみ、導いてください。
世界にある様々な悲しみや苦しみ、混乱、争いを御心にとめてください。
共に集えない者達、病んでいる者達、痛みや不快や不自由をおっている仲間たちに、主の顧みを注いでください。

9/25礼拝にて

あなたの御声の響くところへと戻ってまいりました。あなたの御声こそ私どもに愛を示すかけがえのないものであることを知っています。そしてまた、その御声がなければ、ただただ自分の考えで考え続け、堂々巡りを繰り返す自分であることも知っているからです。私どもを愛し、赦し、正しくし、きよめるあなたの御声を私どもに与えてください。
ほんとうに様々な思いをめぐらせて生活してきました。あなたの御業を思い起こし感謝を献げて歩んでまいりました。御言葉を与えてくださり、心が新しくなる恵みに支えられました。あなたへの信仰がなかったら、いったいどのようにして生きていただろうかと思います。
しかしまた、心穏やかでない思いも抱えています。いつも相手が間違えているとばかり考えてしまう癖がなかなか抜けません。あなたの御前では心を明け渡し、あなたの御心を知ることがふさわしい姿であることは知っています。しかし、ここにやって来ても、いまこうして祈っている最中でも、まだ自分が正しいという声が消えてはいません。
私どもはあなたの大声を求めません。小さな細い声でも良いのです。どうぞ、心の奥底を訪ねてくださって、思いわずらいに捕らえられ不自由になってしまう私どもの思いや声を消し去ってください。心の底からあなたにゆだね直すことができますように。心してあなたの御言葉の前に留まらせてください。
世界に平和を与えてください。自分のことばかりではなく他者のことも考えよと言われた主の言葉が、どれほど重みのある言葉かを知ります。私ども個々人ばかりではなく、国や民族も相手のことを思いやることが難しくあります。どうぞ、そうしたゆずらないあり方がぶつかり合うなかで、愚かしい戦いを繰り返すことがないように、世界を守ってください。とくに、政治的に重い責任を負っている人々をどうか憐れんでください。また重い心で恐れを深める人々に、どうか、立てられている教会が、慰めと希望を毅然と指し示すことができますように、この主の日にも主の霊を世界の教会に新たに注いでください。
台風や地震の災害の爪痕の中で過ごしている多くの人々がいます。あなたの憐れみを注いでください。
今朝、共に集えない私どもの仲間たちを、あなたの御心のうちにとめてください。病んでいる者たちに癒しを与えてください。
主の御名によって祈ります。

9/11礼拝にて

帰るべきところ、私どものいのちの源なる神の御前に、こうして帰ってくることができました。あなたの御前で、あなたの確かさ、あなたの慈しみの深さをお教えいただくことが、どれほど私どもの生活を支えていてくださることでしょうか。あなたを忘れていることが何と多いことかと思います。それゆえに恐れ、望みを失いそうになり、息苦しさを感じますが、促されて振り仰げば、あなたの揺るぎない愛をいつでも仰ぐことが許されます。むしろ、信頼を弱めた自分自身を申し訳なく思います。改めて、あなたの慈しみのもと、愛の土台の上におかれている私どもであることを感謝致します。

先に眠りについた人々、私どもの先達を思い起こしながら、今朝の礼拝を過ごしております。在りし日の面影を偲べば、ここにその姿がないという淋しさも追いかけてまいります。こうした私どもの心の深くに抱えているものを、どうぞ、あなたの御霊によって読み知ってください。ほんとうの意味ではどこでも癒されることのない悲しみです。しかし、あなたのもとでは癒されると信じつつ、御前にあるのです。どうぞ、この私どもの信仰、信頼を受けとめて、顧みを注ぎ、慰めを与えてくださいますように。

世界がどうなるのかという恐れが満ちています。911のテロから、15年目のこの朝、改めてお互いが信じ込む正義が、どれほど新しい悲しみをつくり出してきたかとふり返らせてください。今なお、恐れの中で、お互いに武力を突きつけ合う関係が、より厳しいものとなっています。世界がかつての大戦で経験したあれほどの悲惨を忘れ去ってしまうような人間の愚かさを思います。どれほど自分の事情や感情に縛られてしまうのかと思います。どうぞ憐れんでください。政治的に重い責任を負っている人々をあなたが憐れんでください。そしたまたとくに、キリスト者たちが戦いを厳しくしてしまうことがないように、主イエス・キリストに学ぶ歩みをつくることができるように守ってください。そのために、どの国のどの教会でも、主の平和を学ぶことができますように。

新しい心、新しい思い、新しい歩みを求めています。私どもでは考えつかないあなたの言葉による以外にはありません。どうぞ、あなたのみ言葉をください。

共に集えない者たちも御心にとめてください。

主の御名によって祈ります。

9/4礼拝にて

豊かなあなたの愛の前に引き出されています。様々なところを通りつつ心に本当に様々の思いをめぐらせて生きてまいりました。こうして、御前に静まることがなければ、その思いをめぐらせていたことさえ忘れてしまって、愛にもとる自分であったことや深くに抱え込んでいる汚れに気づくことさえなかったと思います。そのような自分自身を深く知らされつつ、それでも私どもを御許に呼んでくださるあなたの呼び声を知るときに、あなたの愛が揺るぎないことを知ります。心から感謝致します。
自分の古い姿から立ち上がるように御前にあります。あなたがお示しくださる愛の姿は、敵をも愛する愛でありますし、そうであるからこそ、それは私どもの知らない、新しい愛の姿であります。自分が愛したいものを愛し、そうでないものを疎んじる、そういう古い愛、こうした愛には限界があると自分でも気づいているのです、そうした古い愛を脱ぎ捨てたいと思っているのです。
十字架の主の御姿を、今朝、私どもの魂の奥深くに写すことができますように。そのために、み言葉と聖餐を祝福してください。
台風の災害に遭った人々をあなたが憐れんでください。こうした度重なる災害の背後に、大きな気候変動がささやかれています。私ども人間が造り上げてきた世界のありようを、どうぞ、問い直すことができますように。手を取り合う世界でありますように。間違っても混乱を戦いにつなげてしまうことがありませんように。
9月を迎えました。様々に実りを得る季節となりますように。お互いの労をあなたが祝福してください。また、共々に喜び合う関わりをつくることができますように。
共に集えない病んでいる者、痛みや不快や不自由に耐えている者にあなたが祝福を与えてください。ここに集いつつも抱えている嫌みやわずらいが、どうかみ言葉を聴くうちに、あなたにゆだねるうちに、軽くされますように。
主の御名によって祈ります。

8/28礼拝にて

暑さ厳しい季節を守られて、共々に8月最後の主の日を向けることが許されました。きょうもまた、あなたの恵み深い招きによって、御許に引き寄せてくださって、どうしても必要な恵みを備えてくださいます。どうか、その恵みをみ言葉によって深く受けとめることができますように。み言葉によって神への感謝を新しくすることができますように。様々に喜びや悲しみを通ってここにあります。愛する肉親を失った悲しみのなかにある者もおります。共に主の御前に祈り得た幸いが深い慰めとなりますように。

平和の歩みをと祈りつつ過ごした8月でありました。どうか、平和の求めが年中行事になってしまうことがなく、意義深い平和の足取りを整えることができるように守ってください。とくに、政治的に重い責任を持つ者たちを憐れんでください。選択を誤ることがありませんように。また、国民一人ひとりが責任を持って考えていることができますように。

災害に苦しむ人々、とくに先週起きたイタリアの地震の被害を主が憐れんでくださいますように。また、この国でも多くの自然災害が起きています。未だに日常生活を失ったままの人々もいます。あなたの憐れみを注いでください。

希望をもって将来を見通すことが難しくなる時代にも思われます。希望を語ることが難しくなっている時代です。今こそ、私どもの信仰を強めてください。人間が考える希望が絶え果てるときにも、あなたが与えてくださる希望は尽きることがないと知っています。主イエス・キリストのゆえに、勇気を出せ、すでに世に勝った、という言葉を聴き続けることが許されています。どうか、私どもの目と耳を、主イエスにこそ向け続けることができますように。

礼拝に集い得ない者たちをあなたが顧みてください。高齢のゆえ、病床にあって、不自由のゆえに、集えない魂を、あなたが導き続けてください。

主の御名によって祈ります。

8/14礼拝にて(平和祈念)

父なる御神、主イエス・キリストを私どもの平和としてくださったことを感謝致します。敵を愛する姿を十字架上に鮮やかに描き出してくださいました。その下に留まるしかないという思いを深めています。報復をあきるほど知っているのです。どこかの話しではなくて、自分自身の心にすぐにでも動き出す思いです。十字架の主イエス・キリストとの違いを痛感します。それゆえに、あなたを仰ぐ必要を切実なものと感じます。どうぞ、御前で平和を学び取らせてください。
恐れが満ちています。お互いに敵意を向け合うなかで出来たものです。人間がお互いに自分でつくっている敵意であります。人間自身の責任であると思います。相手を信じることができないのです。
心を開いた関わりをつくることができますように。きっと関係は不幸なものになるという、馬鹿げた思いから解き放たれますように。平和の取り組みなど無駄だという望みなさを捨てることができますように。たしかに、悪が人間を引きずり回しているようにも見えますけれども、そう見るあまりに、結局悪の力強さを信じ、闇を信じているというような愚かな結果に陥ることがありませんように。全能の父への信頼を挫いてほくそ笑む、悪魔の思うつぼに陥ることがありませんように。ほんとうにこの世界を引っ張っておられるのは、全能の父なる神よ、あなたであることを、今ここで大胆に信じるために、御霊を注いでください。
私どもの国、あるいは取り巻く国々で政治的に重い責任を負っている人々を、あなたが憐れんでください。祝福してください。誤った動きを挫いてください。手を携え合う世界でありますように。
教会に、祈る力――平和のなさに耐えつつ平和を祈る力――を与えてください。み言葉で捕まえていてください。私どもを捉えてくださる主イエスの強い御手がここに見えてまいりますように。この国の教会、そして世界の教会を、主がご自身の愛と平和で強めてくださいますように。
礼拝に参加できない信仰の仲間たちを主がささえてください。癒し、忍耐、信仰、望み、愛、必要なものは何でも与えてくださいますように。
主の御名によって祈ります。

8/7礼拝にて

主の平和を求めつつここにあります。
あなたが御子をお遣わしくださったところには、平和が宿ります。今朝、この礼拝がすでにそうです。どうぞ、私どもの知らない平和、あなたが与えてくださる平和が、ここに見えてまいりますように。御霊を注いでください。
かつての戦いを繰り返すことがないように守ってください。一部の心配性な人だけでなく、多くの国民の心配ですし、世界情勢にも平和の兆しは遠のくばかりにも思えます。どうぞ、憐れんでください。新しくなったこの国の内閣を、あなたが憐れんでください。国を導く責任を果たし得ますように。そのために必要な思慮、知恵をあなたが与えてください。間違えても、かつての悲惨な道に迷い込むことがないように守ってください。戦争の悲しみを思い起こす季節を過ごしますが、多くの人が二度と繰り返さないと、思いを定めることができますように。子供や若い人々が生きる世界が、良い世界でありますように。
福音を日本の教会、世界の教会が高く響かせることができますように。
私どももここで、ほんとうに私どもの思いが改まるようなみ言葉を聞かせてください。それがあなたの言葉であるならば、どのような言葉にも従う柔らかさを備えさせてください。本当に私どもが力を失っているところへと、あなたの慰めの言葉が届きますように。
病んでいる人、痛みや不自由、不快を覚えている人を、特別に憐れんでください。癒しを与え、支えを与えてください。
主の御名によって祈ります。