主の日の祈り

主の日の礼拝にて

6/21礼拝にて

天の父なる御神
あなたの子どもたちが今こうして御前に集っています。あなたを父と知っているからです。どんなに厳しい歩みを余儀なくされましても、それにまさるあなたのいつくしみがあると信じているのです。それを信じられなくなったとしても、その不信仰すら打ち破るあなたの恵みの言葉があると信じているのです。どうぞ今、あなたのいつくしみと恵みをここに明らかにしてくださいますように。御霊を求めています。「求める者に聖霊をくださらないはずがない」と、主イエスがお教えくださった言葉そのままに求めているのです。そう信じますから、どうぞ聖霊を注いでください。
ここに帰ってまいりましたのは、私どもがあなたのものであることを、明らかな思いとして――あるいはそうでなくとも心のどこかで――覚えているからです。大きな信仰を誇らしく献げ得なくとも、小さな、しかしあなたを見上げる辛子種ひとつぶの信仰をあなたは祝福し、真実を注ぎ、十分な信仰へと育ててくださいます。信仰の確かさは、主よ、もはや私どものなかなどにはなく、あなたのご真実の中にあるということが、今ここでの、あなたの恵みの強い迫りの中で、明らかになってまいりますように。
愛の歩みに努めてまいりました。波立つ感情を超えて寛容や忍耐を、と努めてきました。慌てて実りを確かめてしまって、そうするからこそ徒労だったと疑う心がありますならば、どうぞ、まことの愛に連れ出してください。いつも愛が返ってくることを求めていたのかもしれません。主が、ひたすらに注ぐ愛に生きられた御姿、愛の一方通行を望みを持って貫かれた御姿を思いますと、どんなにその愛から遠いところにいるかと思わざるを得ません。しかし、すでにその愛の主のしもべとされている私どもです。思い返せば、愛の足りなさを嘆くことすら知らない私どもが、今こうして、自らの愛の貧しさを悩みつつ祈っています。確かに主の御手のなかに捕らえられている私どもです。ささやかでも、たゆみなく愛の歩みを進めますように。
共々に献げうる礼拝の喜びを感謝致します。それだけに、今朝集うことができなかった人々のことを案じます。主よ、あなたの顧みを注いでください。
世界に平和をお与えください。この国が、戦いや猛々しさから遠いところを歩むことができますように。あなたの御心、平和の御心が行われますように。
暖かな人々、その親切に支えられたことを感謝致します。私どものことを忍耐してくれた人々、私どもに誠実であった人々に祝福を与えてください。うずくまる心、悲しみや苦しみがあなたの憐れみの内に置かれますように。