主の日の祈り

主の日の礼拝にて

4/23礼拝にて

イースターの日曜日からはじめた一週間を守られました。感謝致します。日ごとの糧を祈りつつ、私どもを生かし給うそのあなたの命の憐れみが、どれほど深く確かなものか、私どもの永遠さえ約束してくださりつつ備えてくださるあなたからの日ごとの糧を味わってまいりました。深い感謝と賛美を御前に献げます。私どもを支える数え切れないほどのいのちの働き、いのちの営みを私どもが意志しなくても、心臓が動き、血液が流れ、呼吸をし、いのちが保たれています。あなたの命の御手の中にすでにある私どもです。その命の業の中で、やがて死に、いのちの業の中でやがて呼び覚まされます。死が人生の終わりだと信じ込んでしまう私どもを、あなたは憐れんでくださって、主イエス・キリストを甦らせてくださって、私どもの初穂としてくださり、私どもの実りを明らかにしてくださいました。キリストと同じ畑、キリストの体なる教会に植えられている私どもです。御霊を与えてくださり、目には見えないところであなたの命のご真実が、どれほど懇ろに丁寧に私どもを導いてくださっているかに、目が開かれますように。甦りの主、先に甦られたいのちの師、いのちの先生として主イエスを仰がせてください。
脅し合い、いのちを武力のもとに置くことで、相手を支配しようとする力に満ちた世界となっています。どうしてこうもいのちを軽んずるのか、と訝しむほかありません。世界にはあなたの命のわざと違う支配、死と罪の支配があることを知ります。どうか、今朝、各国に建てられている主の御体なる教会が、いのちを憐れむ主の懇ろなご訪問を受けますように。相手を脅かすことが何の解決にもならないこと、どんなに地面を深く穿つ爆弾でさえ、ほんとうは表面的な変化、しかも破壊的な変化しか与えないことを教会こそは見抜いていることが出来ますように。主イエス・キリストが希望を失った弟子たちを愛し訪問され、罪を赦し、新しくしてくださったことが、どんな爆弾よりも深く人間を穿つものであったか、いのちを深く打ち込むものであったかに、目が開かれますように。イースターを年中行事に終わらせずに、甦りの喜びを祝う日曜日を営み続けることができるように守ってください。
私どもも相手を愛し赦す愛の力をいただくことができますように。至らぬ歩みでありましても、愛や平和を、諦めずに粘り強く悩む歩みでありますように、主よ、捕らえてください。
心身の病と闘っている一人ひとり、痛みや不快感や孤独や苛立ちや恐れる心がありますならば、どうか御心に留めてください。望みをもって今日の一日を耐える力と、そして何よりも、あなたが癒しを備えてくださいますように。教育ボランティアとその家族をどうか覚えてください。
御言葉を待ち望みます。主よ、聞かせ、語らせてください。御名によって。