主の日の祈り

主の日の礼拝にて

9/11礼拝にて

帰るべきところ、私どものいのちの源なる神の御前に、こうして帰ってくることができました。あなたの御前で、あなたの確かさ、あなたの慈しみの深さをお教えいただくことが、どれほど私どもの生活を支えていてくださることでしょうか。あなたを忘れていることが何と多いことかと思います。それゆえに恐れ、望みを失いそうになり、息苦しさを感じますが、促されて振り仰げば、あなたの揺るぎない愛をいつでも仰ぐことが許されます。むしろ、信頼を弱めた自分自身を申し訳なく思います。改めて、あなたの慈しみのもと、愛の土台の上におかれている私どもであることを感謝致します。

先に眠りについた人々、私どもの先達を思い起こしながら、今朝の礼拝を過ごしております。在りし日の面影を偲べば、ここにその姿がないという淋しさも追いかけてまいります。こうした私どもの心の深くに抱えているものを、どうぞ、あなたの御霊によって読み知ってください。ほんとうの意味ではどこでも癒されることのない悲しみです。しかし、あなたのもとでは癒されると信じつつ、御前にあるのです。どうぞ、この私どもの信仰、信頼を受けとめて、顧みを注ぎ、慰めを与えてくださいますように。

世界がどうなるのかという恐れが満ちています。911のテロから、15年目のこの朝、改めてお互いが信じ込む正義が、どれほど新しい悲しみをつくり出してきたかとふり返らせてください。今なお、恐れの中で、お互いに武力を突きつけ合う関係が、より厳しいものとなっています。世界がかつての大戦で経験したあれほどの悲惨を忘れ去ってしまうような人間の愚かさを思います。どれほど自分の事情や感情に縛られてしまうのかと思います。どうぞ憐れんでください。政治的に重い責任を負っている人々をあなたが憐れんでください。そしたまたとくに、キリスト者たちが戦いを厳しくしてしまうことがないように、主イエス・キリストに学ぶ歩みをつくることができるように守ってください。そのために、どの国のどの教会でも、主の平和を学ぶことができますように。

新しい心、新しい思い、新しい歩みを求めています。私どもでは考えつかないあなたの言葉による以外にはありません。どうぞ、あなたのみ言葉をください。

共に集えない者たちも御心にとめてください。

主の御名によって祈ります。