主の日の祈り

主の日の礼拝にて

7/3礼拝にて

深い憐れみのなかで私どもを招き寄せてくださってありがとうございます。どのような人生の経験を通しましても、あなたのもとにある喜びや安らぎを深めることができるという、確かなあなたへの信頼を育てています。もちろん、ご存じの通りに、まだ癒えていない悲しみや恐れ、人生の中で経験した傷があります。しかし、そうしたものがありましても、あなたの御手の中で確かな癒しと慰めがあるのだと、そう信じているのも事実です。ただ佇む以外にない時ですら、消えることのない光を信じながら、佇むことを許してくださいます。
確かな信頼を育ててください。ゆらぐ思いならば、日々の歩みで経験します。心ない人の言葉に捕らえられてしまうことがあります。日々飛び込んでくるニュースが告げる世界の混乱、テロの報道に心を暗くすることもしばしばであります。しかし、心の底から喜ぶということも忘れて果ててしまうことなどないはずです。そう信じて、正直な私どもの心を晒して御前に立っています。主イエスに教えられたように、「御国が来ますように、御心がなされますように」と、今朝も祈りました。その祈りが宙に消えてはいないことを信じるように、御霊によって促してください。私ども個々の人生においても主であられ、この世界の歴史においてもたゆまずに導いてくださる主であり給うあなたの国、支配、御心が必ずなるということを、信じることへと再び取り戻してください。
通り一遍ではなく、十把一絡げでもない、私ども個々人への語りかけが必要です。今日、あなたがこの“私”に語ってくださったという、あなたのみ声を求めています。み言葉を祝福し、祝うべき聖餐を祝福してください。力強く暖かなあなたの御手がほんとうに見えてまいりますように。顔つきすら変えられて、ここを立ち上がることができますように。
選挙が近づいています。戦後70年を越えて、様々に考えるべきこと、忘れずにいるべきこと、重んじつつけなくてはならないことを、投げ出してしまうことがないように、私どもの国を守ってください。信仰者であるからこそ見ていることのできる国の姿もあります。キリスト者としての責任を果たすことができますように。ほんとうの意味での愛国に生きることができますように。
今日、共に礼拝することが許されない人々を、あなたの御心のうちにとめてください。どんな小さな祈りの声にも寄り添う御霊を、今日もあなたがお遣わしください。離れておりましてもここで献げられる祈りや、注がれる愛のわざを、あなたが香り立つものとしてお届けください。病んでいる者に癒しを、悩んでいる者に光を与えてください。主の御名によって祈ります。