主の日の祈り

主の日の礼拝にて

6/5礼拝にて

私どもを待ちわびてくださっていたあなたの御前に、こうして帰ってくることができました。私どももあなたの御前に出たいという思いで、今朝ここにやって来ました。確かな信仰へと私どもの信仰を育ててください。
 私があなたを愛していることはあなたがご存じです、と、自分の確かさも主の御前に投げ出してしまったあのペテロに倣い続くものとならせてください。自分自身の中に確かさなど、まじめに考えれば考えるほどないと思わざるを得ないからです。しかし、こうしてあなたの御前に出ている自分を思う時、あなたの確かな御手が私どもを捕らえていてくださること、あなたへの愛もまた、あなたが御自身が育ててくださっていることを知ります。なんと感謝なことでしょうか。
 隣人への確かな愛に生きてきたかをふり返る時、そう問うことも忘れて、ひたすら自分の思いの中で生きてきたのではなかったかと、御前に恥じております。めぐらす思いにしても、語る言葉にしても、動かす手にしても、自分の貧しさを思います。それゆえに、落ち着かない思い、不平や不満に閉ざされて、ほんとうの自分自身の姿を見失っていたと思います。私どものほんとうの姿は、あなたの子どもです。洗礼によって、キリストをいただいて、キリストのように生きる自由へと招かれている者です。どうぞ、御霊を再び与えてくださって、み言葉とキリストの体と血とを与えてくださって、ほんとうの私どもの生き方へと私どもを取り戻してください。正しく愛の荷を負うことができますように。
 世界に平和をお与えくださいますように。誇り合い、相手より抜きんでることを求めてしまう人間です。そうしたあり方が、戦いにつながることがありませんように。とくに政治的に重い責任を負っている人々を、あなたが守り導いてください。手を携え合うこと、和解する努力をこそあなたが祝福してください。私どもの国もまた選挙を迎えます。様々に幸せな国の将来像を考えますが、少なくとも、ほんとうにお互いを尊重し、信仰の自由が守られる社会が守られる歩みをすることができますように。国民のみんなが、誠実に考えることができますように。
災害にあっている人々を憐れんでください。そうした地域の教会をあなたが強めてください。
病んでいる人々を、どうぞ、あなたが癒してくださいますように。共に祈っている教団の教育ボランティアをあなたがとくに覚えてください。
今日共に集えない仲間たちにあなたの御心をとめてくださいますように。今からみ言葉を聴きます。あなたがお語りください。