主の日の祈り

主の日の礼拝にて

5/1礼拝にて

信仰をもって踏み出す一歩一歩を、あなたが支え、こうしてその守りを感謝しつつ、御前に集うことが許されました。そしてまた、そうした健やかな一歩が許されないところでも、私どもを見放すことも見捨てることもなさらずに、あなたの慰めのなかで私どもの信仰を強くしてくださり、心から喜んで一歩を踏み出せるようにしてくださることを感謝致します。あなたに乱暴に引き回されることも、そしてまた、闇の中に放っておかれることもないと深く知らされつつ、こうして御前に出てくる喜びと望みを確かなものにしてくださいます。

私どもの見てきた世界は、願い通り、思い通りのものではありませんでした。私どもの愛や忍耐や希望が求められる世界であることを改めて知らされています。そうしたものもあなたからいただけると知っています。私どもの小さな愛だけでは、不平や不満に閉ざされてしまうばかりなのです。どうぞ、自分でできなかったことばかりに目を奪われてしまうことから、私どもの目を引き離してくださって、キリストの愛のうちに備えられている恵みの豊かさに私どもの目を注いでいることができるようにしてください。み言葉によって、訪ねていただく以外にはありません。そうしないと、私どもはいつも自分を正しくし、ほかの誰かを間違いだと決めつけて、仮に叶ったとしても、どうしようもなく小さな貧しい世界を夢見てしまうのです。

正しく悔い改め、正しくあなたを信じ直すことができますように。今日、御前に献げる信仰が必要です。あなたの言葉によってそれを造ってください。 地震で壊れた教会堂で礼拝を行うことができずにいる熊本の群れを祝福してください。Y牧師を、そして信徒たちを今日、御子と御霊によって訪ねてくださいますように。目にし、肌に感じる現実の中にも、あなたの恵みを知ることができるようにしてください。援助の手がさしのべられていますが、それが慰め豊かなものとして届きますように。教会の内外を問わず、宗教の違いを問わず、あらゆる救援、慰めが祝されますように。

報じられる国の内外の情報を聴かされつつ、戦いの緊張が高まっているのではないかと案じています。各国で政治的な責任を負っている人々をあなたが憐れんでください。とくにキリスト者たちが、各国の教会が、私達の平和であり給うキリストの僕としての歩みを進めることができますように。プロテスタントカトリック正教会、どの教会にも主の支配が現れますように。

病んでいる者たち、疲れを覚えている者たちに癒しを与えてください。ここで主の日を祝いながら身も心も健やかさを取り戻しますように。集うことが許されない仲間たちを、あなたが御心にとめてください。祈りのうちに携え伴いつつ、今朝、主の食卓を祝わせてください。主の御名によって祈ります。