主の日の祈り

主の日の礼拝にて

10/18礼拝にて

天の父なる御神 主イエス・キリストによって教えられたあなたの呼び名です。深い畏れと信頼と、そしてまた安らぎをもって、あなたを父と呼ぶ幸いへと私どもを招いていてくださいますことを改めて感謝致します。そしてまた、私どもがあなたのことを一方的にそう呼ぶばかりではなく、あなたが私どもを「我が子よ」と呼んでいてくださる幸いもまた、御子イエス・キリストによって教えられました。罪深さと汚れを抱えつつ、自分自身を受けいれることが難しくなってしまうような私どもでもありますが、しかし、そのように自分で自分をどうしようもないものとよぶ呼び方に勝って、あなたが私どもを「あなたは神の子、キリストのもの」と新しい名で呼んでいてくださいます。自分でも知らなかった自分自身をここで教えられています。心から感謝致します。
 自分を卑下してしまうこともまた十分に理由のあることのように見えます。心のなかに思い巡らしてきた思い、人を愛そうと努めつつも、とんでもない思いが自分の中に巡っていることに気付かされます。しかし、それよりももっと深く確かな心として、「神に新しい心を授けていただきたい!」という思いも動いています。それゆえに、こうして御前にやって来ています。
 どうぞ再び新しく「我が子よ」と呼び直してください。いいえ、すでにそうしてくださっていることに、御霊の語りかけの中で改めて気付くことができますように。あなたが私どもを呼んでくださる呼び声こそ、高くなりますように。
 それにしても困難な世界の様子を見せられています。多くの人が恐れの中にあります。自分が重んじている宗教や誇りが踏みにじられてしまうのではないかと恐れて、それゆえに強硬な仕方でそれらを守り回復させようとして、また新たに傷つく人々が生まれています。思いわずらいの心、恐れの心は、そうした頑なな心を増幅するばかりです。主よ、憐れんでください。思いわずらいを去ることが平和への確かな一歩であります。どうぞ、主のご臨在を与えてください。そして、本当に思いわずらいを小さくして、向かい合う人にささやかであっても愛を注いで生きることができますように。小さな私ども足下でも愛と平和に生きることができますように。それもまた力のいることであることを知っています。だからこそ、あなたのみ言葉、あなたのご臨在をお与えください。
 礼拝を共にすることができない信仰の仲間たちに、なお導きを与えてください。癒しと守り、また深い慰めをあなたが備えてください。主の御名によって祈ります。