主の日の祈り

主の日の礼拝にて

8/9礼拝にて

大変な暑さの中守られてこうして主の御前にあって、主の日の祝いを過ごしうる幸いを感謝致します。また、主の名のもとにあるどの教会もこの主の日守られて祝福豊かな日でありますように。
 とくに、かつての原爆投下から70年を数え覚えている長崎の教会を覚えてください。今年は主の日となりました。献げられている礼拝を祝福してください。かつて教会の上で爆発し多くのキリスト者たちの命が失われました。原爆を落とした国も落とされた町も同じ信仰をもっている者たち同士でした。深い悔い改めと豊かな赦しが進み、どうぞ平和の祈りの声が高まってまいりますように。
 戦いに戦いをもって応じる道を主は戒められました。どうぞその道を、完全には守り得ないとあきらめてしまうことなく、大切にしていることができますように。一週間をふり返っても、私どもの思いはいつも私ども自身の回りを巡り続け、どうしても相手の側にまで思い至ることができないことがしばしばであったように思います。敵と味方、愛情を注ぐ存在とそうでない存在、赦せる人とそうでない人をどうしても分けてしまうような、未だキリストから遠いところにあると言わざるを得ない私どもであるかもしれません。戦いの根を抱えている私どもです。
 しかし、考えてみれば、かつては敵を愛せないと言って悩むことを知りませんでした私どもが今こうして戦いの根を抱えつつも、祈りの心が与えられています。主イエス・キリストに示された愛を知らず、小さな、身勝手な愛しか知らなかった者たちですが、その私どもがこうして御前に集うことを覚え、キリストとの愛の差を嘆くことを覚え、愛を祈り求めることを覚え、主イエスのみ姿に憧れを懐き始めています。ありがたいことです。どうぞ、自らの愛の貧しさを嘆くことすら忘れていたならば、それを嘆くことができる健やかな悔い改めへと再び取り戻してください。あなたが私どもを作ろうとしておられるその姿へと、私どもを新しく作り上げてくださいますように。そうなさるあなたへ私ども自身をゆだねていることができるようにしてください。
 そのために、今、み言葉に私ども自身をゆだねます。たとえそれがどういう言葉であろうとも、あなたの慈しみを信じつつ、それがあなたの言葉であるということの故に、聴くことができますように。もし、私どもが捨てなければならない心、思い、生き方があるのでしたら、み言葉のままにそれを受けとめることができますように。そのようにして平和を作り出すあなたの子供としてください。私たちの平和であるキリストを、御霊によって、み言葉によって私どもに与えてください。主の御名によって祈ります。

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