主の日の祈り

主の日の礼拝にて

7/5礼拝にて

御前にこうして帰ってくる道をあなたが守ってくださったことを感謝致します。こうしてあなたの御前であなたに祈ろうという思いもまたあなたが授けてくださっている心です。あなたは教会に御霊を与えてくださいました。祈りの霊を与えてくださいました。あなたのことをどれだけ覚え続けていられたかと問われれば、たちまち心許なくなる私どもです。あなたのことを忘れてしまって、ただただ自分の心、自分の心のなかに行き交う言葉に捕らわれてしまうこともしばしばであったことを御前に正直に告白せざるを得ません。隣りびとを愛せよと言われた主イエスの言葉よりも、自分の立場、自分の考えを重んじて、人の言葉が聞こえなくなっていたのかもしれません。あるいはまた人に十分に自分のことが聞いてもらえないと思うからこそ、心のなかの言葉は大きくなり、あなたの言葉を安らいで聞いているということができなかったのかもしれないのです。
けれども、ご覧下さい。ここに帰ってまいりました。少なくとも、自分自身の言葉のなかに確かな答など見いだせなかったのです。どんなに自分の言葉を思い巡らせても、胸のつかえが取れるほどに自分の主張を語り得たとしても、安らぎはやってこないことを習い覚えつつあるのです。あなたの言葉が必要なのです。主イエス・キリストがはっきりと私どもにわかる言葉で語り直してくださった、あなたの霊の言葉、あなたの御心を知る以外にありません。どうぞ、あなたが懇ろに語りかけてくださって、私ども自身の思いや言葉のなかから、本当にいるべきところ、あるべき私どもの姿へと導いてください。語りかけられる時に軽やかに腰を上げることができる私ども、聴き従うことができる私どもであることができますように。そのためにも今、御霊を新しく注いでください。
国の歩みが問われています。どうぞ政治的に責任を負う人々の議論が、国民の思いと離れることなく、丁寧なものでありますように。耳を閉ざした信念が一人歩きするなどということがありませんように。願わくは、主イエスがお伝えくださった平和の道と少しでも重なる歩みが生まれてまいりますように。
紛争、困窮、経済の混乱、病気の流行、格差、世界は困難に満ちています。どうぞ、今日、世界中で献げられる礼拝を主がお訪ねください。福音の喜びと希望が明らかになりますように。また、あなたを信じているいないを別にして、愛や平和のどのような取り組みも、あなたの祝福の中に置かれますように。
私どもが主とそして隣りびとに仕えるわざを祝福してください。愛と平和に生きられますように。
今朝、病や弱さ、不快を抱えてここにある人々、そしてここに来ることが赦されなかった人々にも、あなたの顧みをとくに注いでください。