主の日の祈り

主の日の礼拝にて

3/22礼拝にて

天の父なる御神
あなたの子どもとして、あなたに愛され、私どもも愛に生きるように召され、その召しに応えようと愛に努めてまいりました。寛容であろうとし、忍耐し、譲ろうとし、感情的な言葉をのみ込み、言うべき言葉を探し、愛の歩みに努めてきました。けれども、どれも十分ではなかったように思います。思い返せば恥ずべき自分の姿をいくつも思い起こします。どうぞ、私どもを憐れんでください。
 しかしまた、もしあなたからの愛を学んでいなければ、そのような愛を悩むことすらなかったのかもしれないとも思っています。愛の足りなさを嘆きつつ、愛を増してほしいと願っていること自身が、あなたの子どもとされていることの証しでありましょう。どうぞ、このようにして祈っていること自身が私どもを育てていることを信じていることができますように、私どもの愛の戦いを守ってください。
 み言葉を求めています。あなたこそ、私どもに何を語るべきかを最もよく知ってくださっています。私どもが考える聞きたいこともあります。けれども、そうした自分の考えている言葉では私どもが新しくなれないかもしれません。ですから、私どもの聞きたい言葉すらあなたにゆだねますから、どうぞ、あなたがお語りになりたいと思われる言葉をこそ、お語りください。あなたの愛に信頼して、去来する自分の言葉を黙させてあなたの言葉の前に出ます。
 あなたを求める心を訪ねてください。厳しい試練の中で、特別にあなたの顧みを求めている魂を、あなたが憐れんでください。病の戦いを強いられている者をあなたが癒してください。信仰を支えてください。あなたの導きを見失いそうになっている者に、確かな御手を示してください。この時こそとあなたのしるしを求めている者に応え、どうしても必要なしるしは与えてください。
 世界に平和を与えてください。戦いを避けて通る道を世界が選択することができますように、とくに政治に責任のある者たちを助けてください。世界の教会で祝われる主の日の教会の礼拝をお訪ねください。とくに、この国の小さな主の民の礼拝を、まことの喜びで満たしてくださいますように。主の御名によって祈ります。