主の日の祈り

主の日の礼拝にて

11/16礼拝にて

イエス・キリストの父なる御神
 信仰の仲間たちがこうして御前に集っています。案じていた者の元気な顔を見て喜び合っています。それだけに、共に集えない仲間たちを案じています。先週は、信仰の仲間の一人S姉が召され、あなたの慰めを求めつつ御許に送りました。どうぞ、私ども、特にご遺族にある淋しさに、あなたが顧みを注いでください。このようにして、天にある教会にまた一人、顔も名も知る仲間を持つようになりました。
 洗礼を受け、キリストの死とそして甦りに一つに合わされ、私どももキリストを持つようになりました。キリスト者と呼ばれるようになりました。そう呼ばれて恥ずかしくなるような、ふさわしくない言葉や行いや心を先週一週間をふり返っただけでいくつも想い起こします。しかし、このようにあなたを父と呼ぶ呼び方を主イエスに教えられて、私どももまた一心に主と呼んでいる姿のなかに、確かにキリストをいただいていることを知ります。自らの信仰者であることを疑っている私どもに、なぜ怖がるのかとキリストは問いかけてくださいます。不信仰すらキリストの言葉の響くところとしてくださって、そうです、私どももまたキリストをお宿しする小さなキリストです。キリスト者としてふさわしくなかった事々を悔い改めます。どうぞ、私どもを新しくしてください。神の子としてふさわしい信頼をあなたにお献げできますように。
 み言葉を求めています。御言葉を宿してこそ小さなキリストとして歩めるからです。キリストに捉えられた私どもを求めている社会があります。職場や学校、近所の人々、家族もまた光を求めています。私どもをそこに遣わしてくださいますが、ご承知の通り、私ども自身は光そのものを持ちません。あなたの言葉によって、御霊を与えていただいて、私どもの霊を活かしてくださることを抜きにして、私どもは世の光となることができません。どうぞみ言葉を与えてください。
 伝染病に苦しむ西アフリカの人々をあわれんでください。その治療に当たる人々や研究者たちもあわれんでください。各所、様々な形で存在する国同士、民族同士の紛争や摩擦を繰り返す人間をあわれんでください。平和の努力こそ祝福されますように。今日の主の日、世界の教会の礼拝を、主が御霊によって訪ねてくださり、平和を祈れますように。災害とそれが作り出した悲しみ苦しみにあえぐ人々をあなたがあわれんでくださいますように。