主の日の祈り

主の日の礼拝にて

4/2礼拝にて

十字架によって贖われたお互いが、こうして御前に一つになっています。私どもの能力や才能、あるいは様々な賜物を数えれば、それはまさに様々に違うものでありますが、しかし罪深さという点で、ここに一つになっています。人を愛せない心に悩み、罪深さを思い、心の深くにみじめさを抱え、誇っていたとしても、みじめさを多少払いのけられたという誇りです。自分のみじめさを思い知るとすぐに失われる誇りにこだわり、一喜一憂を繰り返している私どもです。他のどこへ向かうのでもなく、十字架の主のもとにある赦しの前に、一つに集っています。「誇る者は主を誇れ」と言われているとおり、キリストを私の誇りとしようとして一つになっています。うちに抱える祈りは様々に違いますが、しかし罪深さとその赦しを祈る祈りでは、一つです。どうか、福音を、私への福音を聞かせてください。そしてその喜びを一人でも多くの者に伝えるものとなることができますように。そのためにも、恵み深い主を知る喜びが深く私を捉えますように。
世界に平和をお与えください。自分の国のこと、さらには自分自身のことにだけ関心を集める社会が、どの国にも見えてきているように聞かされています。「自分を捨て日々自分の十字架を負ってわたしに従いなさい」と言われた主の言葉が、もはや古くなってしまったのでしょうか。けれども、他者を信じないで固く閉ざす心同士が造り上げている冷たい社会を思う時、人間は主の言葉に生きる以外にないと改めて思わされます。どうか、主のご受難を思う日が近づいてくるこの主の日、世界の教会がほんとうに十字架の主に目を注ぐことができますように。赦しや寛容を本当に学ぶことができますように。いいえ、単なる学びを越えて、主の御姿に捕らえられるキリスト者たちであることができますように。
政治的に重い責任を負っている人々をどうか憐れんでください。
病や患いにある者たちにあなたの顧みを注いでください。今朝、ここに集えない者たちもおります。主の憐れみと癒しをお与えください。家族のものの看護のために労を注いでいる者たちを助けてください。教育ボランティアをどうか、癒してください。その家族をお守りください。
新しい年度が始まりました。それぞれの歩みをあなたが守り導いてください。また、この教会の新年度の歩みにもあなたの祝福をお与えください。今日、主の御声を聞くことができますように。主の御名によって祈ります。