主の日の祈り

主の日の礼拝にて

3/12礼拝にて

父なる御神、あなたの子どもとされた者たちが、共々に御前にあります。主の甦りを記念しています。しかもその命が十字架の死からの甦りの命であることに思いを深めようとしています。どれほどの憐れみを、私どもがあなたからいただいていることでしょう。罪のゆえに死すべき者でありましたのに、そのことにすら気づかないで、案外まじめに生きていると考えているような私どもでありました。あるいはまた、それは過去のことではなくて、先週一週間でさえも、人よりもどこか正しく、どこかまさっているように思い、周りの人々を責めて、裁いて、自分を義として生きていたのではないかとふり返ります。
十字架に目を注がせてください。私どもがあなたの子とされるのに、父と御子が担ってくださった苦しみがどれほどのものであったかを見ることができますように。どれほどあなたに逆らう者であり、そしてそれを御前に招いてくださるということがどれほどの愛であるでしょうか。知り尽くすことができない者ですが、しかし、より深く、あなたの恵みの豊かさを知らせてください。
私どもの国を憐れんでください。災害の悲しみに慰めを与えてください。福島の原発は、依然としてどうしてよいのか、その方途が見えておりません。故郷を依然として失ったままの人々がおります。どうか、この国を深い思慮へと導いてください。政治的に重い責任を負っている人々を、あなたが憐れんでください。国同士の緊張が高まる道を選択することがありませんように、この国とそれを取り巻くアジアの諸国を覚えてください。その国々のキリスト者たち、教会を顧みてくださって、平和の主キリストに従う教会であることができますように。
様々なものを私どもも抱えて御前にやって来ました。どうしてもあなたの言葉が必要です。祈りも自分の言葉やそれが正しいかどうかもわからない願いで一杯になってしまいます。祈ってもなお去ることのない、恐れる心があります。どうかそれでも、祈りに萎え、祈りを放り出してしまうことがありませんように。どのような深い心も、ひたすらにあなたに注ぐことができますように。そのために、あなたの言葉を求めます。心から御国と御心を求めることができますように。
この主の日を覚えつつも、集えない状況下にある者たちを、とくに病んでいる人々、年を重ねている人々を御心のうちにとめてください。教育ボランティアに癒しを、そのご家族に守りを与えてください。
主の御名によって祈ります。