主の日の祈り

主の日の礼拝にて

2/12礼拝にて

憩うべきお方の前に、深く息をすることが許されていますことを感謝致します。私どもがこうして御前に帰ってくることを喜び迎えてくださる父であられることを感謝致します。御国が来ますようにと、今日も心を合わせて祈りました。私どもの一週間の歩み、思い通りに行ったことにも、そうでなかったことにも、あなたご自身の御手がのばされていたことを改めて感謝致します。万事を合い働かせて益としてくださる摂理の御手が伸べられているということが、私ども深く休らわせます。
それゆえに、祈ります。休らうほどのあなたの支配を深く受けとめることができるように、今あなたの言葉を与えてください。あなたの支配がよくわからなくなるような世界の中を生きてきたとも言えるのです。ひたらすら自分たちの力の支配を拡張することに夢中になる世界ですし、そうしたことに成功かに見える人々もおります。しかし、幸せな世界が私どもの回りに実現してきているとは言えません。いったいどういう世界を人間が造り上げていることでしょうか。人間がその支配を実現することは、本当の答えではないとしみじみと思わされます。人間の望みやそれを成し遂げる力の延長に、何が現れてくるのか、深く恐れている世界であります。
御言葉に集中させてください。小さな教会の集いの中で聴き取るみ言葉ですが、しかし、世界を大きく捕らえているあなたの御声として受けとめさせてください。その言葉をもって世界を造られたあなたの御声が、ここに聞こえてまいりますように。細きみ声、しかし、真実なあなたの御声を聞かせてください。
世界の教会がそうでありますように。さして意味のない大声に満ちている世界の中で、細くとも静かに深く響くあなたの御声こそ、どの教会も聞き取っていることが出来ますように、キリストの霊を明らかにお示しください。どの教会も、山の上の町、地の塩、世の光であることが出来ますように。愛に生きられますように。平和を造り出すことが出来ますように。
政治的に重い責任を負っている人々をあなたが憐れんでください。判断を誤ることがありませんように。本当に大切なことを重んじていることが出来る冷静さをお与えくださいますように。
この主の日、教会の礼拝に集うことを望みつつ、そう出来ずにいる人々を覚えてください。祈りのうちに携えて御言葉を聞きます。何らかの形で、ここにある恵みがその人々の所にまで及びますように。教育ボランティアの治療を、どうぞ、あなたが守り導いてください。癒してください。主の御名によって祈ります。