主の日の祈り

主の日の礼拝にて

1/29礼拝にて

父なる御神
ただあなたが私どもの父であるという理由だけで、御許にやってまいりました。様々な義務に生きております。人の中で生きるためには損得勘定もありますし、あるいは純粋に人のために生きてもまいりました。しかし、ここにやって来たのはそのどれでもなく、ただ、あなたが私どもの造り主であられ、ここに帰ってくることが私どものふさわしいことであると知っているからです。
一週間、あなたの恵みに支えられて歩むことができたことを感謝致します。いつも先立つ恵みを備えてくださって、私どもが迷い果てているときにも、すでに道を備えてくださっていることを知らされています。けれども、そう知らされていながら、思いがけないことに出会うときに、まるでもうこの先に道がないかのように思いわずらってしまう信仰の弱さを抱えております。主イエスの御側にありつつも、風や波を見て怖くなってしまう弟子たちのことがよくわかるのです。申し訳ないことです。どうぞ、再び、信仰を燃え立たせることができるように、今暫くの間、御言葉を逃さずに聴くことができるようにしてください。御霊を与えてください。御霊に満たしてください。
いったいどこに向かっているのかわからない世界の中に生きてまいりました。しかし、私どもは主によって、御子のお出でになる希望へと進むことを信じています。世と歩調を合わせて、かけがえのない望みまで放り出してしまうことが内容に守っていてください。
世界に平和をお与えください。国同士、そして人間同士が、広く他者のために自らを開くものであることができますように。政治的に責任を負っているリーダーたちを憐れんでください。受けるよりも与えるほうがさいわいであるといわれている真理とは別のところに、幸いをつくることはできないのですから。私どももまた、主に教えられたように生きられますように。どうか、世界中の主の名にある教会が、今日、主の言葉を誠実に受けとめて、歩みをつくることができますように。
病んでいる人々を御心のうちにとめてください。礼拝に参加したいと願いつつも、それが叶わずにいる人々を覚えてください。私どももまたそうした者達を祈りのうちに携えて、御前に出ます。あなたの顧みが豊かに現されますように。とくに、教団をあげて祈っているあの伝道者を、どうか、覚え癒してくださいますように。主の御名によって祈ります。