主の日の祈り

主の日の礼拝にて

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天の父なる御神、御前にこうして恐れなく出ることが許されています幸いを、心から感謝致します。キリストのゆえに、あなたを、アバ父と呼ぶことを教えられています。恐れを去って平安と喜びを求めて御前に出ることが、決して間違ってはいないこと、それどころが私たちの平安と喜びをあなたが求めておられることであることを再び思い起こしております。
どうか、今朝、あなたの言葉によって、招き給うあなたをはっきりと知ることができますように。放っておくと、あなたの御姿を怖いもの、私どもの至らなさを責めるだけのものとなってしまいます。あるいは、赦しや愛を少しも心を振るわせることなく、聞き慣れた当たり前のものとしてしまうのです。こうして、あなたの前に出ることができるのが、それほどの幸いかを知らせてください。私どもの罪深さと、それと同時にそれを赦し抜き、愛し抜き、何度でもあきらめずに私どもをあなたの子どもらしい姿へと変えようとなさるあなたの、強い迫りに気づけますように。
他者に思い注ぐこと少なく、自分のことだけに夢中になって、生きてきたのではないかと思い返しております。世界にも自分を主張する言葉が飛び交っております。そのような関わりの中で、亀裂が深まるのではないかと案じております。どうか政治的に重い責任を負っている人々が、その責任を忠実に果たすことができますように。世界だけではなくて、自分自身の関わりおいても、やはり相手を理解しようとすることが少なくあります。私どもを造りかえてくださるあなたの御力を受けとめていることができますように。自分へのこだわりを捨てることができますように。たとえ世界がどうでありましても、きょう、他者を愛して生きることができますように。家族を、友を、出会う一人ひとりに丁寧に耳を傾けていることができますように。
この主の日を、病床で、自宅で過ごさなくてはならない一人ひとりをどうか御心にとめてください。心も体もあなたの御手の中で癒されますように。
教団をあげて祈っているあの伝道者をどうか癒してください。再び働きに戻ることができますように。
主の御名によって祈ります。