主の日の祈り

主の日の礼拝にて

10/16礼拝にて

イエス・キリストの十字架を感謝致します。その御許にこそ、集うことが許されています。あなたがどれほどの思いをもって、私どもを迎えていてくださるか、今、十字架に目を注ぎつつ、思い起こすことができますように。あなたが御霊を送ってくださらなければ、心動かすこともなく、十字架の御許で過ごしてしまうことがあり得るのです。信仰の喜びを新しくしてください。あなたから注がれている真実が、私どもの人生において経験するどのような事々にも、谷間のような経験にも、隈無く注がれていることに改めて気づくことができますように。
全能の父なる神を信ず、そう告白するように導かれていますが、数えきれぬほど多くの信仰の先達が、人生をかけてそう告白し裏切られることがなかったのですから、私どもも自分自身を寄りかけてそう告白したいと思います。
十字架の前で、改めて私どものためにはこれほどの御子の苦しみが必要であったかを思い起こしております。絡みつく罪があります。つい先ほどまで口で語っていたこと、心で思い巡らしていたことさえ、あなたの御前には恥ずかしいものであります。人を愛すること弱く、自分自身へのこだわりを重ね、主イエスの御姿から離れて行ってしまいます。あるいは、主の御姿から離れてしまっていることにすら、当然のことのように考えてしまうこと、気づかないまま生きてしまう信仰の弱さがありますならば、あなたの愛によって私どものあなたへの愛を再び燃え立たせてください。喜んで自分の今の姿を捨てることができるようにしてください。私どもを新しくしてください。
世界で祝われいる主の日を祝福してください。主の慰めに満ちた訪問をどの教会も受けますように。とくに、信仰の自由が許されていない国々で、密かに祝われている礼拝を祝福してください。福音がさらに広がりますように。
病んでいる人々を憐れんでください。病んでいる伝道者のための祈りの要請を受けています。どうぞ、癒しを与えてください。再び、その働きに立ち返ることができますように。
政治的な責任を負っている人々を憐れんでください。世界を思い起こすたびに暗い思いを抱かざるを得ない世相にあって、どうぞ、教会は主のお出でを待つゆえに、明るく世界を見通していることができますように。闇は光に勝たなかった、ということを、揺るぎなく信じていることができますように。
主の御名によって祈ります。