主の日の祈り

主の日の礼拝にて

10/9礼拝にて

はばかることなく恵みの御座に近づくことを許してくださる父なる御神、またさらに御子キリストによってご自身のほうから私どもに近づいてくださった父なる御神、それゆえにこうして私どもがあなたに近づくことを待ちわびていてくださり、喜んで迎えてくださることを感謝致します。
あなたが父でおられること、あなたの御心こそ成っていくことを、心から喜んでいることができる私どもでありますように。自分の感情や願いやどうしても譲れない頑なな心があるのならば、どうか、そうした心にこそ、あなたが触れてください。砕けた魂、悔いた心こそ、あなたは喜ばれます。悔い改めは、光なるあなたに向きを変える喜ばしいものです。しばしば、砕かれることを嫌う私どもですが、しかし、砕いてくださるのがあなたであるならば、そうしてあなたが私どもを新しく造りかえようとしてくださるのであれば、砕き給うあなたの御手を受けいれていることができますように。砕かれつつも、望みに生きていることができるようにしてください。本当は、すでに砕けた心を抱えているのかもしれません。人前には隠している自分自身の破れを、今ここで正直に御前に認めることができますように。
病、不自由、高齢のゆえに礼拝の喜びを共にできない者たちをあなたが憐れんでください。主の日の喜びが、そうした方々にも与えられますように。
主の日ひと日、この国のキリスト教会を憐れんでください。どの教会の礼拝も主よ、あなたが祝福してください。とくに、苦闘している教会や伝道者たちに顧みを注いでください。東北や熊本や被災地にある教会を、覚えてください。私どもの教団に属するどの教会にも、今朝、新しく御霊を注いでください。
世界の教会を憐れんでください。各々ほかの人のことも考えなさい、と言われた主の言葉を、教会のあり方をもって示していることができますように。キリスト教国と言われてきた国が、自国の利益にだけこだわって、この世界の中で主から託されている使命、愛と平和に生きる使命を放り出してしまうことがないように守ってください。国としての建前にも、どうか主の愛と平和がにじみ出ますように。政治的に重い責任を負っている人々を憐れみをもって導いてください。
私どもも今朝、ここであなたからの言葉を聴き得ますように。今朝、御言葉を聴きつつ、新しくなれますように。抱えている現実がどんなに複雑でありましても、ただひとえにあなたの愛を知った信仰の初心、ただひとえにあなたの導きを信じた信仰の初心に立ち返ることができますように。
主の御名によって祈ります。