主の日の祈り

主の日の礼拝にて

6/12礼拝にて

喜ばしい主の日の日の朝を感謝致します。繰り返す毎日のなかで、この日を待ちわびておりました。あなたが新しい息吹を私どもに与えてくださると知っているからです。信仰の弱さを嘆くこともしばしばではありますが、こうした御前を喜び目指す歩みが、自分から去らないことを知る時に、自分自身の弱さばかりではなく、私どもの知らない強さが与えられていることも、改めて御前で思い起こしております。あなたの御前で、深く息を吸うことがどれほど私どもを生かすのかを知っているのです。
 あなたに注ぐ信仰を、あなたが祝福してください。あなたの真実が今日も私どもを訪ね求めていることがここに見えてまいりますように。もはや、置き去りにされていることも、捨てられていることもないことが、あなたが語ってくださるみ言葉のなかに、新しく、はっきりと見えてまいりますように。ここから立ち上がる時に、新しいまなざしをもって、私どものに与えられている生活を見ることができるようにしてください。
 息苦しくなるような世界があります。自分の国や自分の立場にとって益となることを求めようとする世界です。損得勘定のなかで、いつも自分が後回しにされているのではないかと焦ってしまいます。不平や不満、苛立ちのなかで、相手を思うことも忘れ、愛など後回しの世界の風、自分自身の回りにも、あるいは国同士が向かい合うなかにも、きな臭い風を感じながら生きてきました。どうぞ、そのような空気を吸うことが当たり前だと思うことから、神の子たちを連れ出してください。不信仰な時代だと、驚き怪しまれつつ世界をごらんになったあの主イエスのまなざしが写し与えられますように。
 私どもの国で行われる選挙に、この国がほんとうに取るべき選択を与えさせてください。平和の足取りが保たれますように。信仰の自由が守られますように。
 災害に苦しむ人々を顧みてください。憐れんでください。思いがけぬ病で苦しむ人々に、憐れみを注いでください。とくに、教団の教育ボランティアに癒しを与え、もとの働きへと返してくださいますように。
 今日行われる特伝を祝福してください。祈りつつ声をかけている人々を導いてください。うずくまっている人々が背筋を伸ばしてあなたを仰ぐことができますように。
 祝福のひと日を、今日、ここに与えてください。主の御名によって