主の日の祈り

主の日の礼拝にて

4/17礼拝にて(50周年記念礼拝・第1)

50年の歩みをあなたが守ってくださったことを改めて思い起こしています。今日まで、このように守り導いてくださったことを心から感謝致します。礼拝を守り続けてまいりました。週ごとに立てられる説教者によって、福音が説かれ、赦しが告げられ、あなたの守りに改めて目が開かれ、ほんとうに私どもの信仰は護られました。すでに多くの信仰の先達を天に送りました。しかし、どの歩みもあなたの恵みのうちに導かれた歩みであったことを思い返します。そして、私どもに与えられている守りも、どれほどのあなたの真実に保たれているかを、改めて思い起こします。
一週間生きただけでも、あなたに祈らなくてはならない多くのことを抱えます。人生に生じる思いがけないこと、悲しみ、淋しさ、罪深さ、人を愛する愛の足りなさ、どれもあなたの恵みと赦しがなければ、解くことができないことです。それゆえに、あなたの御前に向かう足取りは絶え果ててしまうことがないものです。どうか、あなたに祈る必要も覚えず、礼拝を献げて福音を聴き取る必要がないような思いになるとするのならば、御霊をお遣わしください。真実な自分自身の姿をお示しくださって、大げさでも何でもなく、私どもの罪深さ、あなたから離れては何一つできない自分自身の真実の姿を見せてください。ほんとうに土の器に過ぎないのです。飾り立て、誇りに生きることで人生は乗り切れるというような思いを、どこかにいだいているとすれば、どうぞ、御霊の息吹でそうした思い込みを吹き飛ばしてください。そして、土の器をその息吹で改めて満たしてください。
熊本の大きな地震の災害を覚えています。私どもの仲間の教会、熊本教会は、教会堂が壊れたと聞いています。今朝、場所も心も落ち着かないまま、主の日を過ごすことになると聞いています。あなたを呼ぶ切実な声を、あなたが聞き分けてくださり、あなたのご訪問がわかるようにしてください。私どももまた切実な祈りを捧げ続けることができますように。また、多くの主の名のもとにある教会も被災していると聞いています。どの教会の礼拝や、献げられる小さな祈りにもあなたのあわれみが注がれますように。
信仰のあるなしを問わず、被災された人々にあなたの憐れみを注いでください。失われた命にも、そしてその命が失われたことを嘆き悲しんでいる人々にも、あなたの憐れみを注いでください。今日行われる救援の働きのどれも、あなたが祝福してください。今日は被災地は雨と聞いています。どうぞ、特別にあなたの守りがありますように。
こうした心を携えて御前に出ます。み言葉をください。