主の日の祈り

主の日の礼拝にて

4/10礼拝にて

日ごとに歩む力を備えてくださり、こうしてここに来る歩みもまた守られたことを感謝致します。週ごとに御前に来ることが、歩みの一部になっていること、この週の初めの朝のひと時が、歩み全体を支える力となっていることを改めて思います。もし、御前に静まるときがなかったならば、結局、自分自身の願いが叶ったとか叶わなかったとか、計画がうまくいったとか、いかなかったとかということだけしか考えることができなかった私どもであったと思います。願い叶うとしても、計画が実現するとしても、せいぜい焦りを緩めることにしかなりませんでした。こうして、御前であなたに自分自身をゆだね、私どもの願いや計画ではなく、御心を求めて生きることが、どれほど、私どもに平安をもたらしていることでしょうか。感謝致します。
ふたたび、御心にゆだねさせてください。知らないうちに自分で力を込めて何とかしようとし始めてしまうのです。御心を問題にしないで、思い通り、願い通りのことを求めてしまっていることも、御前でこそ知ることができる自分自身の姿です。どうぞ、それをお示しください。あなたがおられず、それ故に自分を自分で固く握りしめてしまうことも罪であることがわかりますように。ゆだね直すという幸いな悔い改めをお与えください。どれほど、愛されて、大切にされているかということが、新しい恵みとして見えてまいりますように。
「不信仰な時代」と主イエスが驚き怪しまれた時代が、なお続いています。祈りを忘れている世界です。あなたへの祈りを忘れるからこそ、大小様々な生存競争の戦いが満ちています。他者を軽んじること、そのようにして自分を大きくすることが、多くの悲しみや恐れを作っています。国同士も、また個々人同士も、そのような戦いに明け暮れています。どうぞ、主の民とされた私ども教会が、違う生き方を示す地の塩、世の光となることができますように。世界の教会にあなたが新しい霊を遣わしてください。どの教会でありましても、あなたを拝むひとときがいのちに満ちますように。語られるみ言葉を主が祝福してくださいますように。異なる思想や宗教に囲まれつつも、あなたへの信仰を護っている国々の教会を特別に憐れんでください。遣わされている宣教師たちの伝道を祝福してください。
私どもの教会は、来週50周年の記念の時を迎えます。感謝を献げ、私ども自身をふたたび主と恵みの言葉にゆだね直すことができますように。
病んでいる者たち、心ならずも御前に集うことができない者たちに、あなたの顧みを注いでください。
主の御名によって祈ります。