主の日の祈り

主の日の礼拝にて

4/3礼拝にて

甦りの主の喜びの中で、主の日を過ごしうる幸いを心から感謝致します。尽きぬいのちの働きの中に置かれている私どもです。そのことを、今朝も御自身の御霊の働きの中で改めてお示しくださいますように。
 朝ごとに新しい主の恵みを求めています。その日の労苦はその日一日で十分だと主は仰いました。それは、主が日ごとに恵みを注いでくださるという約束でもあります。約束にしたがって、今日の労苦を支える恵みを与えてください。
 十分と言えるかどうかはわかりませんが、お互いが労苦を負って生きてまいりました。いつも誰かを思う思い、誰かのための働き、愛の労苦、それゆえの悩みに生きてきました。けれども、気付いてみれば、それが報われないことに不満を持ち、疲れ、苛立ってしまうような私どもでもあります。言葉にしても、わざにしてもどれも足りなかったように思います。恥ずかしく思います。
 甦りの主の新しいいのちを注いでください。愛の源泉を私どものうちには持っていないのです。み言葉をもって、訪ねてください。主は「私に学べ、私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い」と言われました。それが私どもの望みです。荷を解き降ろすことばかりを望んで、いつしか体の芯で荷を支えることを忘れてしまっているのかもしれません。それ故に疲れてしまっているのかもしれません。どうぞ、荷の担い方をお教えください。そのために必要な力、肉体の力も心の力も、どうかあなたが与えてください。
  どうか世界で政治的な責任を負っている人々を、あなたが憐れんでくださいますように。複雑な世界です。経済の行き詰まりや、国同士の緊張が高まっているように見えています。そうした中で、どうぞ、平和の努力が祝福されてまいりますように。各国のキリスト教会が、御心を求め、愛と平和を生きていることができるようにしてください。信仰的な自由が許されていない国々で、それでも、知恵を用いて愛の働きをしているキリスト者たち、奉仕者たちを力づけてください。あるいはまた、宗教は異なっても、武力とは別の道で平和を構築しようとする宗教の努力を祝福してください。日本の歩みも、誤ることがないように、いつか来た道に踏みいることがないように守ってください。また、信仰の弾圧を経験した私どもだからこそ、心して祈っていることができますように。
 共に集えない仲間たちを御心にとめてください。体調を崩している者たち、長くわずらっている仲間たちを特別に憐れんでください。
 主の御名によって祈ります。