主の日の祈り

主の日の礼拝にて

3/27礼拝にて(イースター)

イエス・キリストを死人の中から甦らせてくださいました父の御名をほめたたえます。
主の日ごとに、こうして私どもの暗さも、弱さも、はかなさも、死も、あと回しにするようにして、いのちの前に集う歩みを、主イエス・キリストによって与えられていることを感謝致します。もちろん、心を暗くすることがないわけではありませんし、恐れや自分自身の罪深さに捕らえられることがないわけではありません。しかし、私どもが向かうべきところは、甦りの主の御許となりました。もはや、暗さを抱えたままウロウロとすることはなくなりました。今朝も、このように主の御前に集いました。甦りの主イエス・キリストのいのちを再び注いでくださいますように。
恐れきって、部屋を閉め切っていた弟子たちのもとへ、御自身の御傷を示して、お立ちくださった主の御姿を、私どもにもここで見えてまいりますように。傷にも負けるないほどの確かないのちの業です。どうか、傷の深さや重さを信じ込んで、それに捕らえられているだけの心があるならば、その心を訪ねてください。主のご復活を弟子たちはみんな信じられませんでした。他人事ではありません。私どももどこかで主の甦りを遠いところの出来事のようにして、ただただ自分の目の前の恐れや悲しみに捕らえられてしまうことがあるのです。あなたに憐れんでいただき、御霊によって主をお示しいただかなければなりません。どうか、み言葉を強く響かせてください。
今日、イースターを過ごす世界のすべての教会を、あなたが祝福してください。テロ、災害、病、格差と貧困、飢え、憎しみや妬み、恐れ、苦しみ、悩み、どれも人間自身の慰めでは、慰め尽くすことができません。だからこそ、祈ります。あなたの憐れみを求めます。また、弛まずに教会が祈っていることができますように。
私どもの国を憐れんでください。政治的に責任を負っている人々を守ってください。この国が歩みを誤ることがありませんように。平和を遠ざけることになるあらゆる企てを、砕いてください。国民に一人ひとりが思慮深くあることができますように。
この喜びの礼拝に共に集えない仲間たちを、御心にとめてください。
主の御名によって祈ります。