主の日の祈り

主の日の礼拝にて

3/6礼拝にて

十字架のもとに集う私どもに御霊を注いでください。私どもには捉えきれないあまりにも大きなみ業の前にあります。あなたに改めて示していただかなければなりません。あなたが私どもをお救いになるためにどれほど真剣になられたか。また、それほど私どもの罪の深さも、その罪を赦されたあなたの愛の深さも、あなたに教えられなくてはならないのです。
日々の生活に目を注ぐことで、自分の罪深さを忘れるのかもしれません。様々な言葉が飛び交い、人間同士の関係に思いを悩ませ、人を責めても、それほどには自分を責めることはありませんでした。どれほどあなたの前に私どもが砕け去ってしまっていて、自分で自分の義を打ち立てることもできないほどの存在であるということも、どうもぼんやりとしか考えることができていないのかもしれません。だからこそ、罪赦されるという恵みを驚くべき恵みをまるで当然のことのように考えているのかもしれません。主イエスのあの十字架が必要であったほどの、私どもの姿に気付くことができますように。注がれる主の真剣なまなざしが見えてまいりますように。
そのために、どうぞ、御霊を注いでください。十字架のイエス・キリストをはっきりと示してください。本当にあなたに愛されていること、それ故にほかの事々が小さく見えてしまうほどの愛をいただいていることに、改めて気付かせてください。そのことを祈り求めてここにあります。
世界の悩みがあります。憎しみ、戦い、無関心、すべてを投げ打って損得勘定にひた走る心、世界をゆがめているものはたくさんあります。どうぞ、この世界をあなたの平和をもってお救いください。
震災から五年が過ぎようとしています。あわれみをもって御心のうちに留め続けてください。とくに、全く思いがけなく人生が断ち切られるように命失われた人々をあなたの憐れみの御心のうちにおきつづけてください。
絶えがたい痛みや苦しみにある者たちを、憐れんでください。
今朝ここに集う私どもに今朝必要な慰めを注いでください。
うずくまる心を訪ねてください。
疲れた心を癒してください。
共に集えない者たち、とくに病にある者たち主の顧みを注いでください。