主の日の祈り

主の日の礼拝にて

1/17礼拝にて

イエス・キリストの父なる御神
気に掛けていた人々の顔を見つけつつ、共々にこうして御前に集いうる幸いを感謝致します。ここを目指す私どもの求めもありましたが、しかしそれの先を行くように、私どもをあなたが求めていてくださいます。それゆえに、心置きなく、大胆に御前に近づくことが許されています。本当に感謝です。
あなたに問い詰められたら、私どもには立つ瀬がありません。内に秘めた思い、思わず言葉の端々ににじませた心、どれを考えても恥じ入るばかりです。愛に生きることを様々な理由のゆえにサボってきたのかもしれないと思い返しています。せっかくあなたがあなたの子どもとしてくださって、あなたの良い作品として造ってくださっているのに、それを信じず、どうせこんなものだとどこかであきらめてしまっていた不信仰も思い当たります。
しかし、そのような私どもの姿のどれも、他に持って行くべくもありません。ただあなたが御前に帰ってくる私どもを待ち受けてくださっているのでなければ、私どもはこうした心の持っていくべき場所を見失ってしまうのです。慰めに満ちた父よ、あなたの招きを心から感謝致します。
信仰を挫く事柄に囲まれています。私どもの目にもの見せて、神など信じることに大した意味などないと思い知らせようと躍起になる神ならざる力の働きの中を生きています。しかし、御子はすでに世に勝ったと仰いました。それをこそ信じます。
やはり平和ならざる世界があります。各地でテロが横行します。国同士が平和への道のりを見失って苦悩しているようにも見えます。災害があります。かつて大きな悲しみと痛みを被ったあの阪神淡路大震災を思い起こしている日でもあります。様々な意味で揺らぎ、平安を失っていくように見える世界の中で、どうぞ、一筋の信仰、あなたへの信頼をここでささげさせてください。
あなたからやってくる御霊の力が必要です。御自身の霊で覆って、闇の中に光を作り出すことがおできになるあなたであるからこそ、世界は望みを失ってはいないと、心の根っこで信じることができますように。神よ、あなたを信じ始めた私どもです。世の暗さを信じ始めたのではありませんでした。それは正しいはずです。どうぞ、こうした一筋にあなたを信じる信仰を保ち、したたかに信じ抜いていることができるようにしてください。
悲しみ悩みのうちにある信仰の仲間たちに顧みを注いでください。病にある者たち、病床でここに集えない者たち、さまざまな事情に阻まれて、この礼拝を慕いつつ主の日を過ごしている魂に、主の祝福を注いでください。