主の日の祈り

主の日の礼拝にて

1/10礼拝にて

一週間の歩みを守っていただいて、尊い招きにあずかりつつ、あなたの前にやってこられたことを感謝致します。主のご降誕、そして新年と祝いの季節を過ごしましたが、新しい年に踏みだし、それぞれに与えられている課題を受けとめ直し始めています。どうぞ、そのような歩みをあなたがお守りください。神の前にも、人の前にも誠実な歩みでありますように。そしてまた自分の力だけを見つめて思い詰める歩みからも守ってください。やってくるあなたからの恵み、私どもに見えているものも、そしてまた見えていないもの、実に多くの見えないあなたからの恵みが支えていることを信じていることができますように。私どもの旅路は、いずれにしても、あなたの支えのある旅路です。同伴者として主イエスと御霊をいただいていることに、私どもの目が絶えず開かれていますように。
一気に私どもの信仰を揺さぶるような現実があります。御心がなるようにと祈っていますが、あなたの御心をものともしないような人間の傲慢、わがままさ、猛々しさが、そこここに見えています。しかし、主イエスは御国が来るように、御心が天になるとおり地にもなるように祈れと言われました。ほかでもない御子イエスが祈りに集中しているようにと言われました。波立つ心を抱えつつも、この祈りに専心していることができますように。週ごと、日ごとに主がお教えくださった祈りを祈り続けていることができますように。
東アジアの緊張が高まっています。中東の情勢もさらに複雑を極めています。ヨーロッパにも恐れが広がっています。そうした中で祝われるこの主の日であります。どの教会におきましても、自国の安寧のみならず、世界の平和が祈られますように。人間のシナリオにはない、主イエスが与えてくださった平和へのシナリオをこそ、神の民が希望としていることができますように。「主よ早く来てください」という大切な習わしの祈りを、世界の教会がたゆまずに祈っていることができますように。
新しく始まっているこの国の歩みも、そのように導いてください。政治的な責任を負っている人々を守ってください。そしてまた、国民全体が何が本当に大切なのかを考えつつ、見極める目を養えますように。
病にある私どもの仲間たちを覚えてください。癒しと守りを与えてください。一日も早く回復しますように。ここにやって来つつも抱えているうずくまる心、孤独な心をあなたが顧みてください。御霊が優しく訪ねてくださいますように。
主の御名によって祈ります。