主の日の祈り

主の日の礼拝にて

1/1礼拝にて

新しい年を迎えることを主がおゆるしくださったことを感謝致します。当たり前のように年を重ねていくのでも、単に昨年のように今年を過ごしていくのでもなく、大きな歴史のうねりを感じている世界です。そして私どもは――主よ、あなたが歴史の導き手として、この世界を救いに向けて導いてくださっていると信じてここにあります。キリストと共に年を数えることを許され、主の年2016年を迎えました。
何が起きるのか、それを恐れて萎縮してしまうことからも、あるいはそう恐れるからこそ、ほんとうは救いにはならないようなぼんやりとした明るさの兆しにすがりついてしまうような思いからも、解き放ってください。あなたが導き手であるということに思い定め、確かな思いでこのまだだれも体験していない新しい年に踏み出させてください。
世界の、国同士の行方を案じています。すでに戦いが起こっています。どうぞ、その戦いの火が燃え広がらないように守ってください。とくに、政治的に重い責任を負っている人々が、選択を誤りませんように。すでに世界にあるキリスト教会を導いてください。熱狂から救い出してくださって、神の言葉を聴き続け、行い続けていることができますように。
私どもの国も、ほのかな明かりで自分を安心させようとしているように見えます。その一方で何が大切かという価値観も、人同士の関わりも壊れていくようにも見えます。どうぞ、教会が風見鶏のように、ほんとうの風、私どもを救いに導く風が吹き続けていることを指し示して立っていることができるようにしてください。
ささやかな私どもの生活、愛する人々が、どのようになっていくのかも、私どもの案じているところです。野の花を見よと、言われた主イエスの言葉を心に刻みたいと願っています。もっと良い光、もっと良い土、もっと華やかな色を願って、自分の置かれているところで生きることを見失ってしまいやすい私どもです。それこそ、置かれたところを受けいれて、自分に与えられているものを馬鹿にせず、精一杯、神を讃えていることができますように。
災い、苦しみ、病、誘惑から、私ども自身も、そして信仰の仲間たちも守ってください。私どもは弱いのです。どうぞ、あわれんでください。しかし、信じます――主は、強くあられます。ここで聴きうるみ言葉が、それを明らかにしますように。主の御名によって祈ります。