主の日の祈り

主の日の礼拝にて

12/6礼拝にて

一週間の歩みを守り続けてくださったことを感謝致します。
様々なものに出会いつつ、揺らされる心があり、それゆえにあなたのもとに集うことを待ちわびていた私どもです。あるいは、疲れ、祈りを弱くし、ここに集うこともまた戦いであったという者もおります。しかし、いずれにしましてもこのように共々に御前に集うことができました。どのような中にありつつも、私どもの気付くところ、気付かぬところであなたが私どもの信仰を護り続けてくださっていたことを知ります。
待降節の第二主日を迎えました。あなたがどれほどの思いを込めて、私どもを愛し、御子イエス・キリストを私どもにくださったかと思うときに、そのあなたが与えてくださる信仰、守ってくださる祈りがどれほど確かなものでしょうか。そのようなあなたの確かさをよそに、自分の熱心、功績、成果ばかりを気にして、安心したり落ち込んだり、そういうところを歩んでいたのかもしれないとふり返っています。悔い改めつつ、あなたを振り仰ぎます。
クリスマスの季節を過ごしている世界の教会を、あなたがあわれんでください。戦いの知らせ、またそれを聞く熱狂や不安の中でこの季節を過ごしている教会もあります。平和の君イエスが来てくださったということを、深く、強く、思い起こすことができますように。憎しみと報復の連鎖を留めてくださった主に倣う歩みが、様々なところで作られますように。
信仰の自由が許されないままに、待降節を覚えている国々の教会をあわれんでください。中国や北朝鮮での伝道が進みますように。異教の国にある少数派の信仰者たちを守ってください。私どもの国もそうです。きらびやかなクリスマスの飾り付けの中で、どうぞ、教会は一筋の喜びの心でまことのクリスマスを祝うことができますように。
病んでいる者たち、高齢の者たち、試練の中にある者たち、心砕けてしまっている者たちに、主の顧みを注いでください。導き給う主がおられるという喜びを、心を震わせて受けとめることができますように。