主の日の祈り

主の日の礼拝にて

11/29礼拝にて

御子イエスを私どものためにくださった父なる御神
アドヴェント第一の主の日をこうして迎えることがゆるされました。改めて思います。あなたが御子によってこの世界に触れてくださいました。そのように御子を得ている世界を生きてきました。高く遠い神を拝むだけでなく、まことに私どもと同じ地平に、地面に、私どもがある時にはうつむきつつ、ある時には立ち止まってしまう、その同じ地平に主イエスが来てくださっています。高いところに祈りを投げ上げる力を失う時があります。その私どものために、私どもの前に来てくださって、「御名によって祈れ」と励ましてくださっています。私どもが吐く正直なため息すら、祈りと変えられる道が備えられています。御子が私どものところに来てくださったことを心から感謝致します。
依然として、戦い、迷い、そのゆえに苦しみや貧しさの絶えない世界です。私どもの世界が、まっすぐに御子を信じ続けていることができれば、全く違う世界がやって来ていたはずです。御子を捨て去ったユダヤ人たちの罪は、私どもの罪でもあります。その罪を脱ぎ捨てるように、ここで心を込めて御子をあがめます。代々の教会が、主よ、来たりませ。早く来たりませ、と祈った祈りにあわせて、私どもも祈ります。どうぞ、この世界を治める君として、王として、はやく帰ってきてください。
今日から、世界の多くの教会で祝われ始める御子の到来の祝いを意味あるものとならせるために、どうぞ、御霊を与えてください。どうせ敵意など克服できないというようなところに座り込んでしまいませんように。降誕の主が向かわれた十字架に、どの教会のまなざしも集まりますように。ほんとうに必要な言葉を語り、取るべき態度を取り、行うべきことと行ってはならないことを見分けていることができますように。
私どもも、大きな敵意も小さな敵意も今主の御前に携えて、御子イエス・キリストの赦しの光の前にさらします。和解と平和に生きられますように。
共に集うことが許されない信仰の仲間たちに、あなたの顧みを注いでください。ささげられる密かな祈りにも、あなたが豊かに答えてください。病が癒されますように。魂が支えられますように。主の御名によって祈ります。