主の日の祈り

主の日の礼拝にて

11/22礼拝にて

父なる御神

あなたをそう呼ぶことをキリストによって教えられ、そう呼ぶ信仰が御霊によって守られていることを感謝致します。

戦いの知らせが飛び交う世界を生きてきました。世界を導くものがいったい何であるのか、敵意であるのか、力であるのか、そんな恐れが満ちている世界を生きつつも、しかし私どもはこうして父の御前に帰ってきています。あなたの御名と、御国と、御心が色濃くあらわされるようにと、いつものように祈っています。改めて、信仰が与えられていることを感謝致します。

どうぞ、確かな思いを与えてください。世の中の恐れを端に見つつ、超然としているというわけにはいかない心もまた抱えているのです。み言葉によって、私どもの恐れの心を溶かしていただいて、確かな広やかな心を回復させていただかなくてはなりません。どうぞ、み言葉を与えてください。あなたが生きておられるということを本気で信じることができますように。

愛に生きるようにと、あなたによって押し出されています。十分にその愛の務めを果たせなかったのではないかという思いが追いかけてきます。語るべき言葉を語り得ず、かえって冷たい言葉を語ってきたのかもしれません。どうすることが愛を実践することになるのかと迷いつつ、ほんとうに正しい言葉や行いであったかということに、自信を失ってしまっていることもまたあります。自分を取り巻く人間関係の破れを、あの人この人のせいにしたり、自分のせいにしたりしつつ、ただそうするだけで、関係が新しく育っていくということを、勇気と希望を持って考えられなくなってしまいます。しかし、どうぞ、信仰を回復させてください。ほんとうに、私どもの愛を育ててくださるのは、あなたであること。そもそも、私どもにはそのような優れた強い愛はないということを思い起こしつつ、本気であなたの愛が私どもを作ってくださるということを信じ直すことができますように。

世界のキリスト教会を覚えてください。敵意を捨て去り、平和を祈っていることができますように。アドヴェントを前にした教会の歩みを、あなたが導いてください。このひと日、教会の頭であり給うキリストが、その御体なる教会を平和を携えつつ世界を一回り、巡り歩いてくださいますように。きょうのこの礼拝の私どもの間もまた、巡り歩いてくださいますように。

礼拝に集うことができない方々の上に祝福を注いでください。あらゆる痛みや苦しみや不快感のうえに、あなたの顧みが注がれますように。

主の御名によって

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