主の日の祈り

主の日の礼拝にて

10/4礼拝にて

十字架の前にこうして集って、あなたが御子によって示してくださった愛の前に立ちつつ、改めて自らの愛を顧みております。言い訳をしている愛であったかもしれません。自分自身の愛の貧しさを問うことなく、いつも相手を責めているようなことだったかもしれないと思い起こしています。語る言葉も、私どもの行いも、あなたの愛の前から離れてしまえば、たちまち迷いはじめてしまうものであったことを正直に認めざるを得ません。他の人々の姿と比べ、案外こんなものだと自分を慰めてみたり、まだましな方だと、誰かを責める思いを深め始めてみたり、御前に本当に恥ずかしく思います。
十字架の御子の姿と今ここで比べつつ、改めて思います。愛の荷を担う力は父よあなたから、そして御子から与えて頂かなければなりません。
 一気に優れた愛の姿を示すことはできませんけれども、どうぞ、何から離れてしまうのか、何に学び直さなくてはならないのかを、忘れてしまうことがありませんように。忘れてしまって、愛を求める祈りすら弱めてしまうことがないように守ってください。
 私どもの国のために祈ります。ほんとうの意味で愛国に生きることができますように。他国との関わりに成長しますように。隣国との有事への備えを一歩進めたような私どもの国ですが、改めて考えれば、ほんとうに必要なことは何も変わってはおりません。国の姿としては後退しているのかもしれないと思います。ほんとうに大切なことこそ、進んでまいりますように。政治家たちをとくに憐れんでください。自分の損得から自由になって、物事を進める動きこそ、進んでまいりますように。
世界の多くの国で、一致して聖餐を祝っている世界聖餐日を迎えています。かつて敵意を向け合い戦争した教会も、またいまだに緊張状態にある国の教会も、一つに祝う聖餐の中で、どうぞ平和の動きが進んでまいりますように。キリストの言葉をどの国の教会も、ゆがめることも緩めることもなく語っていることができるようにしてください。
私どもも個々人も、上とキリストの愛に育ててください。小さな自分の愛の城を出て、ささやかではあっても、どの人にも愛を注ぐことができますように。平和を築くことができますように。
共に集えない信仰の仲間たち、年を重ねて教会に通うことができなくなっている者たち、病んでいる者たちが、そこで祈る祈りにどうぞ、あなたが御子の臨在を与えてくださいますように。ここでそう祈る祈りが届きますように。
主の御名によって

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