主の日の祈り

主の日の礼拝にて

9/6礼拝にて

あなたのみ言葉を求めてこのように集いました。あなたの御心を求めているのです。たしかに一週間、私どもの心は動き続けてきました。自分の願いがありますし、自分が大切に思う事々があります。けれども、本当のところ、それらが正しいかどうかわかっていないのかもしれません。単にわがままな思い、身勝手な思いを重ねているだけのことかもしれません。御子イエス・キリストは、あなたの名が崇められ、あなたの国が来、あなたの心がなるように祈れとお教えくださいました。そのあなたのみ思いが本当に尊いものであることが、よく分かり、心からそうしてくださいと願えるように、懇ろに語る言葉を与えてください。そのためにどうしても捨てなくてはならない私どもの思いがあるのならば、どうぞ、あなたの御心へと私どもを解き放ってください。ゆだねることができますように。不自由な私どもの思いから解放され、共に生きている人々の心に寄り添うことができますように。そのために、あなたの言葉の霊、御霊を注いでください。
 となりの国では、大きな軍事パレードが行われました。そのことで、私どもの国に波立つ心があるのならば、どうぞそれが収まりますように。とくに憲法を超えてでも慌てて戦いの準備をしてしまうことがないように、この国を守ってください。政治的に責任を負っている人々が、自らの務めに誠実であることができますように。剣を取る戦いの道に平和がないこと、主イエスが「わたしがわたしの平和・平安を残す」と言われました。大きな約束です。あなたを信じることがない日本の片隅での礼拝ではありますが、しかし、どれほど確かな主イエスの約束、あなたの約束とつながっているかということに目が開かれますように。
 中国では大変な勢いでキリスト教会が数を増やしていると聞いています。すでに主イエスがその国を歩き始めてくださっていることを感謝します。しかしまた、それだけに弾圧も加えられています。教会が壊され、自由に信仰の心をささげることができずにいる信徒たちがおります。国は違いましても、同じ信仰の仲間たちのために祈ります。きょう、この主の日、不自由でありましても、しかし、幸いな主の日の礼拝を献げることができるように守ってください。そのようにふえていくキリスト者たちによって、平和な国として発展しますように。紛争の続く地域、それゆえの難民たち、貧富の格差、飢餓、いさかい合う人々、災害にある人々、そうした世の呻きにどうぞあなたが憐れみを注いでください。
 今朝、共に礼拝に集えない者たち、一人きりで祈っている者たちの祈りをあなたが聞き取ってくださいますように。ここにありつつも、痛みや不快、うなだれる心を、あなたが癒し慰めてください。あなたの言葉を聴く幸いが、私どもの心もそして肉体までも軽くしますように。御名によって。