主の日の祈り

主の日の礼拝にて

8/2礼拝にて

厳しい暑さのなか、守られ、こうして御前に集うことが許されます幸いを心から感謝致します。それだけに、健康を弱めている者たち、顔を見ることが許されない者たちがどのようにしているかということも案じています。あなたの守りが、どうか一人ひとりの上に置かれますように。
 8月を迎えています。今週そして来週と、広島、長崎の原爆の悲惨を、再び思い起こそうとしています。どうぞ、正しくそれらの悲しみを思い起こしていることができますように。戦うことや戦う力を備えることが選択しうる一つの答だという考えから、救い出してください。平和を作り出すものは幸いだ、神の子と呼ばれると、主イエスはお教えくださいました。どうぞ、キリスト教会が戦う人間の罪をはっきりと知り、たゆみなく平和を祈っていることができるように、守ってください。何よりも主イエス御自身が、敵意のなかで十字架にかかる道を厭われませんでした。その御姿の片鱗でも、私どもの姿に現れてまいりますように。寛大であることができますように。希望に満ちた忍耐に生きることができますように。
 主よ、戦時中に信仰の弾圧を経験しつつも、かつての国に何が動き始めているかに気づかず、その宗教的な力に迎合してしまった私どもです。どうぞ、お赦しください。そのような私どもだからこそ、まことの信仰に立ち続けていることができるようにお守りください。また、かつて弾圧を受けた私どもにこそ見えている国の姿があります。どうぞ、その私どもが語らねばならぬことを語っていることができますように。本当にこの国を愛していることができますように。
 今日、あなたのみ言葉を聴き取ることができますように。あなたは私どもに私どもでは知ることも語ることもできない言葉を与えてくださいます。私どもの考えの延長線にはない言葉、私どもが新しくされる言葉を与えてください。虚心坦懐にあなたの言葉の前に出たいと思います。
 主よ、お語りください。御霊を与えてください。私どもの霊を生かしてください。
主の御名によって祈ります。