主の日の祈り

主の日の礼拝にて

7/26礼拝にて

あなたを賛美する幸いへと私どもを招いてくださったことを感謝致します。苦しみや悲しみにもやり込められない歌を、あなたによって教えられています。口先の歌ではなくて、私どもの深くを捉えてくださって、心から歌う歌が与えられています。何というさいわいであるかと思います。
あなたの深い導きのなかで、オルガンを新しくさせてくださいました。この楽器も、この楽器が奏でる音も、あなたに献げます。オルガンと共に賛美を重ねてまいります。このオルガンと共にどのような思いのなかで賛美を献げていくことになるでしょうか。しかしどうぞ、聖歌で「恐れは変わりて祈りとなり、嘆きが変わりて歌となりぬ」とうたい覚えておりますように、どうぞ、福音を喜びつつ習い覚えている祈りと歌へと何度も何度も立ち返ることができますように。
あなたのみ言葉を求めて集いました。肉の存在である私どもには、あなたの御姿をこの目で見ることが許されておりませんし、及びがたいあなたの知恵の言葉を聞き取るにはあまりにも浅はかな私どもであります。しかし、あなたが私どもにお語りになりたいと思われるからこそ、私どもに届く言葉として、あなたが私どもに届けてくださいます。どうぞ、言葉を届ける御霊を今注いでください。
大変な暑さのなかを過ごしています。どうぞ、一人びとりをお守りください。また、大きな気候の変動を身近に感じるようにもなっています。人間のエゴがもたらしているものであるかもしれません。どうぞ、人間に、乗り越える知恵、他者を愛し労る思い、またあなたから使命として頂いている動物や植物を治めることに対して、誠実であることができるようにしてください。
戦後70年の夏を迎えています。悲しみを悲しみとしてふり返ることができますように。とくに、安保法制に揺れているこの国です。政治が判断を誤ってしまうことがないようにお守りください。沖縄、広島、長崎にあった戦争の傷跡、そのほか各地にあった戦争の傷跡をふり返ることが、それらの悲惨を見つめ不戦の誓いを確かにするものとなってまいりますように。
世界の教会に、この主の日、いのちを注いでください。甦りの主が平和の君としてたずねて回ってくださる一日でありますように。
今日共に集えない信仰の仲間たちを、あなたが憐れんでください。主がお訪ねくださいますように。とくに、病や痛みで苦しんでいる者たちを憐れんでください。
主の御名によって祈ります。