主の日の祈り

主の日の礼拝にて

7/12礼拝にて

天の父なる御神
あなたのことがよくわかるように御子イエス・キリストを私どもにくださったことを心から感謝致します。十字架のもとにこうして集っています。父の慈愛がただひたすら私どもを目がけ、私どもを追いかけるものであったこと、本当に罪深いとしか言いようがない私どもを、そしてその罪深さの中であなたのご愛に感謝することすら知らなかった者を、それでも私どもへと一方的に注ぎ続ける愛で追い求めてくださって、御子をすら惜しむことがなかったということ、十字架の前に深い喜びと、また本当にもったいない思いで立つ以外にありません。
 御子イエスを御霊によって頂いて、私どももまた御子イエスに似る者として、御子のように愛を注ぎ、あなたの子どもらしく生きたいと願っています。けれども、こうして御子の十字架の前にやってくると、改めて、私どもの愛がどれほど自分の利益を巡るものであったか。相手に心を砕くものであるよりも、注いだ愛をどこかで数え続けて、不満に思ったり、こころ密かに見返りを当然のことのように考えて相手に対して僭越になったりする私どもであったことを思い返します。本当は自分自身を愛しているだけのことだったのかもしれません。
 もう一度、御子イエス・キリストにおける神の愛に学ばせてください。惜しみなく注いでこそ、愛は愛としてのかぐわしさを放つことを知っています。どうぞ、十分にそうできない私どもでありますが、そのあなたの愛の注ぎ方に少しでも真似ることができますように。
 心のなかで自分にこだわっているのかもしれません。不満も徒労もそこから生まれているのかもしれません。み言葉で私どもを解きほぐし、つまらない思いからどうぞ解き放ってください。
 戦後70年を記念する夏を迎えています。悲しみを忘れ去ってしまって、尊大になる思いや他を蔑む思いがありましたら、どうぞ、再び戦いを悲しむ心、平和への願いが高まり、平和の祈りが生まれてまいりますように。平和の道筋がいろいろと考えられて、たずねられていますが、どうぞ、戦後重んじ続けてこられた憲法を、乗り越えてしまうことだけはありませんように。政治家を守り、そしてまた国民を守ってください。
病の故に今朝ここに同席することができない信仰の仲間たちを覚えてください。痛み、不快、そして不安を取り去ってください。そのために祝福を注いでください。また、家族を看るために心を砕いている者たちをあなたが祝福してください。
主の御名によって祈ります。