主の日の祈り

主の日の礼拝にて

6/28礼拝にて

あなたの言葉を求めて集いました。あなたのくださる言葉の喜びを知っているのです。表面的な喜びや癒しではなくて、私どもの心の深いところに、赦しを与え、恵みを注ぎ、私どもを解き放ってくださるあなたの御姿が見えてくるからです。
すでにその喜びを知って、あなたの御前に返ってくる生活を習い覚えていますことを感謝致します。かつては自分の言葉のなかに埋もれてしまうようなものでした。そのことにすら気づかないで、ひたすらに不平不満に捕らわれ、人のせいにし、自らの考えや言葉の貧しさに気づかないままでした。そのようにあなたに向けて戸を固く閉じているような私どもを、ノックするようにたずねてくださって、いえ、今でもそうなのです、気づけば心を固く閉じてしまっています。けれども、あなたにたずねられる喜びを知っています。ですから、あなたが戸をたたいてくださる音を聞けば、あなたに向けて喜んで心の扉を開けたいと思います。どうぞ、今朝、あなたの挨拶、新しいみ言葉、あなたの慰めと励ましが聞かせてください。そのために、御霊を与えてください。
気づけば恐れているような私どもです。それゆえに警戒し、心を狭め、自分で自分を守れるはずもないのに、身を固くしてしまっています。愚かな私どもでありますから、あなたの憐れみが必要です。あなたに向けて、そして共に生きている人々に向けて、私どもを解き放ってください。
戦後70年、あの戦いの悲しみを覚えている人々が少なくなっているこの国を覚えてください。悲しみを忘れ去ったまま、あるいは目を向けようとしないまま、国の新しい歩みを考える愚かさから私どもを救い出してください。とくに、政治的に重い責任を負っている人々に対してあなたが守りを張り巡らせてください。
テロの悲しみと恐れが再び高まっています。どうぞ、自分の信念と神とを混同して、頑なになり残酷になる人々を留めてください。
世界にあるキリスト教会を祝福してください。キリスト者たちもまた信念とあなたの御心を混同してしまうことがありませんように。御名があがめられますように、御国が来ますように、御心があなたのもとにあるようにこの地においても行われますように。
一緒に礼拝の時を過ごし得ない信仰の友を覚えてください。病や痛み、不快をあなたが顧みてください。家族を看ている人々を覚えてください。献げられる祈りがどんなに小さくてもあなたが耳を傾けてくださっていることがわかってまいりいますように。
今ここにある不安な心、悲しみの心にあなたが結びついてください。