主の日の祈り

主の日の礼拝にて

6/7礼拝にて

一週間を歩み終え、また新しい一週間をはじめるために、今、あなたの御前に集いました。あなたを礼拝したいと思ったからです。私どもの願いです。様々な願いを抱えて、そうしたことが叶うことを喜びつつ、あるいはそうならないことに苛立ちつつ生きてきました。しかし、あなたを拝むこと、あなたの語る言葉を聴くことも私どもの願いです。
御心を、と主イエスは祈られました。本当の願いは、父よ、あなたが知っておられると、主イエスは教えてくださいました。妙に自分自身の願いに自信を持ってしまう私どもです。しかし、その願いを抱えつつ、あまり幸せにならないのは、私どもが本当に願うべきことを知らないからかもしれません。主イエスの御名によって祈りつつ、本当に願うべき願いへと私どもを導いてください。あなたの御名があがめられ、あなたの国がやって来て、あなたの御心が行われますようにと、主イエスと共に祈り願うことができますように。そのためにもいつくしみに満ちたあなたの言葉の前にやってくる道を私どもが覚えていることを感謝致します。一週間生きただけでも、私どもはずいぶん絡まってしまいます。だからこそ、あなたのみ言葉で解いてください。
主イエスは、礼拝する者を父は求めておられると語られました。私どもがあなたを求めるに勝って、先だって、あなたが私どもを求めてくださっていました。待っていてくださいました。そのあなたの愛に気づき、信頼を深め、信頼するがゆえに心を開いてあなたの言葉を受けいれることができますように。
自分の願いとにらめっこするばかりで、ほかの人のことに思い至らなかったかもしれません。あなたが与えてくださった共に生きる人々です。様々な感情を超えて大切にすることができますように。私ども自身もまわりの暖かな配慮や忍耐や穏やかな関わりに支えられて生きていることを忘れてしまうことがありませんように。感謝の心を正しく作ることができますように。
世界の紛争を覚えてください。戦いの道を選ばぬように守ってください。とくに、戦後70年の夏を迎えようとしている私どもの国を覚えてください。一人ひとりが誠の平和を深く考える冷静さを保っていることができますように。また、政治的に重い責任を負っている人々をとくに守ってください。
災害、病、恐れや困窮にある人々をあなたが憐れんでください。今日、共に集うことが許されない信仰の仲間たちがおります。一人だけの礼拝を余儀なくされている者たちの小さな礼拝を祝福してください。
主の御名によって祈ります。