主の日の祈り

主の日の礼拝にて

5/31礼拝にて

このように神のもとへと退く道を私どもが得ていることを心から感謝致します。まことに多くのことに出会いつつ、ある時には疲れ果ててしまいますし、失望し、落胆することがあります。しかし、このように御前へと退き、あなたの御心を知らされる時、私どもが結局小さな自分の力や望みを抱えて、まるでそれだけしかないかのように躍起になり、それゆえに疲れ、それゆえに望みを失っていたということに改めて気づきます。まことに私どもはあなたによって生かされ、あなたによって望み与えられているという、私どもの本当の姿へと立ち返ることがここで許されています。何と感謝なことかと思います。
私どもの心と体が覚えているこの神のもとへと向かう信仰者の性質、信仰者のあなたを目指す本能をなお祝福してください。ただあなたに出会うことを求めています。あなたが御子を死のなかからさえもよみがえらせてくださったこと、あなたの命の力が確かであることを、知りたいのです。御子が生きておられることを、聞き飽きてしまうような言葉ではなくて、私どもの魂の深みを訪ねてくださるような言葉で、再び聞き直したいと思っています。そのためには、あなたのみ言葉の霊、御霊を求めます。そのようにして、心の底が支えられ、望みを投げ出してしまうことなく、やけになることなく、悩みや憂いの虜にもならずにあなたを信じていることができますように。生やさしくない私どもの現実とも言えますが、それを上回る恵みで私どもを捕らえてください。
紛争の地をあなたが覚えてください。戦いを身近に感じつつ主の日を過ごすキリストの群れもあることでしょう。どうか主が守ってください。平和を作り出す神の子としての姿で、そこに存在していることができますように。
平和のために努力している人々を、あなたへの信仰の有無にかかわらずに、祝福してください。
人の優しさやあたたかさに囲まれて過ごし得ましたことに感謝する心を与えてください。ビジネスとは言え誠実であった人々、私どもを忍耐しつつ向き合ってくれた人々、穏やかな日常の会話が許された関係を感謝していることができますように。当たり前のこととして思いも留めず、つまらない思いで過ごしてしまうことがありませんように。
病、痛み、弱さによって、心ならずも共に過ごし得ない信仰の仲間たちをあなたが覚えてください。あるいは、やっとの思いで今朝ここにたどり着いた者たち、うずくまるような思いでここにある者たちに、寄り添ってくださるあなたが見えてまいりますように。
主の御名によって祈ります。