主の日の祈り

主の日の礼拝にて

4/12礼拝にて

イースターの喜びに支えられて、一週間を過ごし得ました。また新たな主の甦りのおとずれを聴き取りに、御前に集いました。こうした喜びの繰り返しのなかで、教会の歩みが二千年間続けられたことを思います。先細りするようなものではなくて、むしろ大きくなる喜び、そして広がりゆく喜びであるのは、キリストの霊、御霊が注がれているからであります。御霊が主が生きておられることを証しし、週の初めに集まるたびに、教会に主イエス・キリストのご訪問を示し続けてくださいました。今朝も、その喜びの前にこうして集うことができました。そのようにして、まさに私どもは御霊によって歩んでいることを思います。
 今朝、再び福音を高く響かせてください。私どもは思いわずらいに捕らわれてしまうことも確かです、恐れてもおります。しかし、それらよりも確かなことは、主が与えてくださる喜びです。これまで、何度、思いわずらい、恐れから、主によって喜びへと、平安へと引き戻されたことでしょうか。あなたの恵みがなければ、私どもがいったいどうなっていたかと思います。主よ、そうです、紆余曲折を通りつつも、あなたの恵みが私どもを作っています。そのことが見えてまいりますように。
  信仰の戦いの中にある者たちを、あなたが顧みてください。祈れません、とあなたに訴えるしかない心も、あなたが祈りと見なしてください。病の戦いの中にある人々に、癒しと今の苦痛に耐える力を与えてください。家族を支えようと心を砕いている者たちを励ましてください。緊張しつつ新しい生活に向き合っている者たちを助けてください。世界に平和を与えてください。政治的に責任を負う人々、とくにキリスト者である指導者たちが信仰を働かせていることができますように。
主の御名によって祈ります。

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