主の日の祈り

主の日の礼拝にて

3/15礼拝にて

あなたを求めて、今御前にあります。十分な歩み、正しい歩みであったかと問われれば、たちまち自信を失ってしまう私どもであります。けれども、このようにあなたの御前を求めることを、あなたは私どもの正しさと見なしてくださいます。あなたに生かされている私どもは、あなたの御前を離れることができません。いのちの源なる方の前にこうして座っているのは人間として最も正しく、人間らしい姿であるとあなたに教えられています。キリストの贖いの故、深い畏れを持ちつつも、しかし怖がることなく御前に出られることを感謝致します。

キリストを仰ぎ見る時、私どもがあなたを求める以上に、あなたが私どもをどんなに求めていてくださったかを知ります。そのあなたの求め、あなたの招きによって、心一つで御前に出ることができるようにされています。どうぞ、一筋の信仰の心を献げますから、この心を受け取ってください。

あなたの御心と私どもの心が、本当は重なっていること、私ども以上に私どもの願いをあなたは知ってくださいます。私どもは不平や不満に絡まってしまって、あるいは人々のまなざしに疲れ果ててしまっていて、本当に願うべきことがわからなくなってしまっているのかもしれません。み言葉で解いてください。あなたの子どもとされていることは知っています。けれども、時々、心を振るわせることもなく、その言葉を受け流していることもまたあるのです。何はなくとも、私どもがあなたの子とされていることが、私どもを支える深い喜びとなりますように。父としてあなたがどれほど私どもを顧みてくださっているかがわかりますように。

世界に平和を与えてください。戦後70年を迎えています。戦争を知らない世代が戦争の悲しみを忘れてしまうことがありませんようにこの国を守ってください。自分のことばかりを考えて小さな戦いをしてしまう私どもであるかもしれません。どうぞ、そうした心から私どもを解き放ってください。愛に生きられますように。近くにある人々、家族や友人たちに、愛をもって仕えることができますように。痛みや苦しみや病にある人々に、あなたの顧みを与えてください。