主の日の祈り

主の日の礼拝にて

1/18礼拝にて

御前にこうして迎えられているさいわいを思います。心の貧しい者は幸いだと主イエス・キリストは、ご自身の説教のはじめに人々を招いて言われました。そうしてでないと招くことができない私ども人間の心を、御子イエスはよく知ってくださるからです。豊かな心を問われれば、御前に立つことができません。一週間考えていたこと、あるいはつい先ほどまで考えていたこと、あるいは、あなたの御前にこうして出ているときにも、私どもの心の貧しさがつきまといます。そこにこそ、主イエスの呼び声が聞こえています。御子によって、父よ、あなたがこの心の貧しい私どもを招いてくださっています。
 貧しいとしか言いようのない愛ですが、この愛を、主よ、あなたにお献げ致します。こうしてあなたのいつくしみの満ちた愛に結ばれて、私どもの愛が少しでも成長しますように。豊かになりますように。ひたすらに隣人に思いを注ぐことができますように。そのように生きる平安、そのように生きる喜び、そのように生きるさいわいを、キリストのみ姿を倣って生きようとする者に与えてくださいます。
 あなたを知らない多くの人々の住むこの町の片隅であなたに祈る祈りでありますが、あなたに聞き届けられているゆえに決して小さな祈りではないはずです。そう信じる信仰を与えてください。世界は悩みに満ちています。この悩みに満ちた世界を、あなたがお救いください。クリスマスに祈った祈りを、忘れずに再び祈ります。主よ、早く来てください。思い起こされている阪神淡路大震災の悲しみをあなたが知ってください。また、東日本大震災の悲しみもあなたが覚えてください。
 一所懸命受験に取り組んでいる一人ひとりを励ましてください。道を開いてください。
 み言葉を与えてください。み言葉で私どもをあなたにつないでいてください。
 憂いも、恐れも後ろに投げ捨てることができるために、み言葉を与えてください。あなたの恵みこそ大きなものであることが心を捕らえますように。