主の日の祈り

主の日の礼拝にて

1/11礼拝にて

日々の私どもの歩みを確かに捕らえていてくださる天の父なる御神。
あなたの恵みのなかを歩んでまいりました。確かに一人ひとりの歩んできたところも、その歩む姿も、そこに見えていた風景も違います。しかし、他ではない、この私の歩みを、あなたの恵みが捕らえていてくださったいてことに、改めて信仰の目を開くことができますように。
どこか他のところに、もっと高いところとか、もっと低いところとか、とにかく自分とは違うところに恵みが注がれていることを想像しているのならば、どうぞ、み言葉によって、ほかではない今のこの自分自身にこそ注がれている恵みが見えてまいりますように。誰一人としてあなたの恵み、あなたの赦しがなくては、生きていくことができません。自分の弱さや足りなさを、ただ不満げに見つめて、そのことに目を奪われて、そこにすでに乗り出してくださっているあなたの恵みを忘れているのかもしれません。あなたが向き合い、あなたが助けてくださるのは、作り物の弱さや罪深さではなくて、私ども自身の、偽ることのできない弱さや罪深さです。本当の自分自身を知らせてください。そこにしっかりと伸べられているあなたの恵みの御手を知らせてください。
多くの人の命を奪うテロが起きています。どうぞ、あなたがあわれんでください。こうした悲しみや憎しみの背景に、越えられそうもない格差があるとすれば、どうぞ、世界が共に生きる関わりを作ることができますように。ただにお互いに憎悪を深めるだけの道から抜け出すことができますように。
私どもも愛の限界を感じることしばしばです。主イエスにあらわされたあなたの愛に学び、そのあなたの命の注ぎを受けなければなりません。どうぞ、ここがそういう命の受け渡しの場となりますように。少しでも愛を豊かにしてください。友を、同僚を、立場の違う人々を、家の者を、子どもを、親を愛せますように。主のみなによって祈ります。